気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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昨日、歩道ですれ違う時に道を空けない中学生について書いてから、思い出したことがある。 英語学校の外人講師が、日本の満員電車に乗れないと話していたことがある。彼らにとっては、全く知らない人と体を密着して過ごすことなどとても耐えられないのだと言う。 そう言われて、私も 40数年前に上京して横須賀線で通勤した時、初めて乗る満員電車に躊躇したことを思い出した。田舎の育ちだった私は、他人が 1mよりも近づいたらそれだけで緊張していたのに、満員電車ではお尻も背中も胸も何人もの人と密着してしまった。しかし、それも拒否したら仕事=生活が出来ないという逆の生存条件で緊張に封印をして、すぐに慣れてしまったような気がする。 とにかく自然の生活をしている人間は、どこの誰か全く知らない人と体を密着させて時間を過ごすことは非常なストレスのはずで、もしそれをストレスと感じなくなったら、その時点である種の動物的本能を放棄していることになる。きっと何匹か犬か猫を狭い檻に閉じ込めて放置したら、ストレスでどちらかが力尽きるまでケンカし続けるのではないだろうか。 他方、外で自然に接して遊ばず、空腹を感じたこともなく、友達ともその場その場だけのうわべの関係しか持たなくなった若者は、いろんな意味で動物的本能が育たないまま大人になっていくことは間違いなさそうだ。 と書いてきて、ふと思った。イスラム教には断食月というのがあって、その月の間の日中は飲まず食わずで、日没後だけ飲食が許されるらしい。元々は砂漠の厳しい自然の中でも生き残っていくために決められた生き方なんだろうけど、宗義が厳しい彼らは生活が豊かになってもこうしたしきたりは守り続けるだろう。とすると、全世界的に文明が発達し生活が緩んだ時、多分 断食の「飢え」を身体で知っている彼らだけが生存本能を失わずに生き残るのかもしれない。
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2010/06/11 |
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