ドキュメント履歴: 2003-07-xx 初回アップ
3.標準化が技術者の頭を空っぽにする?
若い人の設計に重大な不具合が発見されて、彼らと一緒に必死になってまず原因を追及し対策案を立案する。
こうした動きの中でいつも同じ疑問が涌いてきて頭を離れない。彼はなぜこんな欠陥に今まで気づかずに来たのか。ずっと長い時間検討を続けてきた当の担当者が自分で発見する機会はいくらでもあったはずなのに。そう思って担当者に今までの検討経過を聞いてみる。するといつもぶつかるのは、担当者は決められた仕事の手順を間違えてはいないという事実と、ただしほんの少しだけ考えが甘く、もう少し広い注意が必要だったのだという反省である。それではというので、失敗事例をチェックシートにして登録し、同じ失敗を繰り返さないように次からは設計の段階でチェックするようなシステムを考える。確かに全く同じ不具合が発生することはまれであって、このチェックシステムは有効にも思える。しかし設計は日進月歩で進歩する。必ず新しい要素が加わり、過去の失敗事例ではカバーしきれない場面に遭遇することになる。そしてやがて役に立つチェックシートの何倍もの数の古い技術についての役に立たないチェックシートが積み重ねられ、それは無駄なチェック工数を発生させ、怠惰な設計者にチェック?ステムは効率が悪いという口実を与えることになる。(少なくとも標準のメンテナンスが適切に行われない限り。)
仕事の標準化は効率と品質を向上するための第一ステップである。標準化月間になればいつもそんな事がアナウンスされ、標準化の大切さが異口同音に語られる。誰がやっても同じ結果が得られるように、無駄がなく失敗の無い仕事をするために、より多くの仕事を効率よく行うために標準化をする。1回前の作業とその次の作業が違う手順で実行されたのでは、例えそれが少しくらい頭を使った結果だったとしてもいつ失敗が発生するか分からない。管理する側にとってそんな危ないことは放置できない。従って管理者側は標準化を推奨し、管理される側に立てば標準化された仕事をするときは、余分な事を考えず決められたことだけをばらつきなく正確に行うのがよい。まるでベルトコンベアーの上を流れてくるカメラを決められた手順通りに正確に組立てるように。
こうして標準化はそれを作り上げるまでは頭を使うが、その標準化に従って仕事をするホワイトカラーの大多数の人をベルトコンベアーの作業者にしてしまう。しかも標準化をするということは、限られた人の作った標準に従って、より多くの人が日常の仕事をすることになる。これは1人の人間にとってみれば、頭を使って標準化をする機会に較べ、標準に従って定型的な仕事をする機会が圧倒的に増えることを意味する。
つまるところ、それは普段のより多くの仕事を頭を使わないでしろということに等しい。こうして標準化をする側にまわらないで、標準にはまって仕事をすることを身に付けてしまった技術者は悲劇だ。
更にもう一歩突っ込んで考えてみる。標準化で仕事の手順が示され、手順通りに仕事をしさえすれば完全に失敗が無くなったとしたらどうなるだろう。人は失敗の可能性があるから、失敗を恐れそれを回避する為にどうしたらよいかを必死で考える。大いに失敗の可能性がある仕事を、失敗を回避するために工夫をして成功したら、その仕事の成果よりも大きな技術者の創造の喜びと成長が産み出される。それが失敗の恐怖から逃れられる標準という便利な方法が先人の知恵で示されてしまったら、それ以上何も好き好んで苦労するやつはいない。標準があるのにも係わらず、標準に背いて仕事をして失敗したらそれこそ叱責ものである。もし標準に従って仕事をしてそれでも失敗したらそれは標準が不備だっただけの事で個人のせいではない。そう考えたら余程前向きな人間でもない限り工夫の余地はないのである。
こうして標準化の上に脳ミソを使う習慣のない安楽な技術者が累々と積み重ねられていく。
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