最近、再びランニングをペースダウンしてジョギング程度に家の周りの歩道を走っている。
その時に丁度目の前の中学校のクラブ活動が終わって帰宅の中学生の集団と一緒になることが多い。植え込みの間の幅1mちょっとのコンクリート敷きの歩道を目いっぱい広がって 3人、5人と連れだって帰っていく中学生の脇を走るんだが、すれ違おうにもすれ違えないことが多い。殆どの場合、私がコンクリートから下りて植え込みの方に避けてすれ違わないと、対向してくる中学生が、道をあける気配が感じられない。私の感覚では、相手がだれであれ自分たちが二人以上並んで歩いていて、向かい側から人が歩いてきたらすれ違えるように道を譲るものだと思っているんだが、どうも彼らにはそうした感覚がなさそうだと以前から思っていた。勿論、今時中学生に年配者や目上の人に対する敬意がないなどと繰り言を言うつもりは毛頭ない。
それよりも気になったのは、彼らの目を見ていると、こちらを注視する気配が感じられないということ。人間も動物だから他の人に会った時、本能的に相手がどんな人か(安全な人なのか危険なのか)顔を見るのが当たり前だと思っていたが、どうも彼らはそうした本能がなさそうな気がしてきた。むしろ時々植え込みから顔を出すネコの方が、確実にこちらの目を見て「コイツはどの位の距離になったら逃げた方がいいだろうか」と窺いながら身構えている。本能だけで生きている動物としては、近づいてくる相手が自分に敵意を持っているか、どれくらい間隔をとればいいのかなど、本能的に相手の目つきなどから判断しているような気がする。(種の保存行為を飼い主に完全に握られ、飼い主の庇護の下にだけ育っている散歩のイヌはネコに比べるとこちらを無視していることが多い)
話を戻して、最初のうち下校中の中学生は友達との話に夢中になっているのかとも思っていたが、どうもそうでもなさそう。話はしているが、全身の神経が友達に向いているわけではなさそう。どちらかと言うと、集団の1人2人を除いて目は空に浮いている感じがする。
どうにも気になったので今日は幾つか実験してみた。わざとこちらもギリギリまで避けないでいてみたり、背後から追いついた時は、後ろで咳払いなど、どうしてもこちらの存在を意識せざるを得ない状況を作ってみた。しかし、結果はほとんど変わらないことが分かった。多くの場合、ぶつかりそうになっても、或いは後ろで人の気配がしても、慌てて大きくどく気配はない。ほんのわずか、身体をずらす程度で、人一人が通れるほどはどいてくれない。さすがに「ごめんね」と声をかけるとやっと脇にどく程度。
結局
-147- 「食事」 (2006年7月)でも書いたように、彼らにはどうも動物としての生存本能が欠如しており、周囲に注意を払って生き残ろうとする姿勢が無くなってしまったのではないかというのが、私の早計な結論。
それにしても、世の中物騒な時代。新聞記事の延長のようなことを考えれば、もし私が「キレやすい」若者で、こうしたことに腹を立てて家に帰って包丁を持ち出して・・・などと言う事件が起きかねない・・・と想像してゾッとした。当にこうした本能の欠如は種の断絶につながりかねない。