| -2398- 初発汗 |
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昨日の雨天が一転 今日は快晴。 去年 4月に来たときには「まだいいだろう」と思って刈らずに 1ヶ月後に来た時には土手の雑草がものすごくて後悔したので、今年は今回此方に居るうちに草刈りをしようと、私としては珍しく朝から計画して準備。(それでも始めたのは 11時頃だったが) まだ日差しはさほどではないと甘く考えたが、どうしてどうして いざ始めると汗が吹き出した。タンポポやカラスノエンドウなど一部の雑草以外はまださほど伸びてはいないので、真夏の草刈りに比べれば楽なはずだが身体が暑さに慣れていないせいか 2時間弱で草刈りだけは何とか終わったが、疲れて腰も痛くなったので細かな部分の草取りはギブアップ。シャワーを浴びて昼飯を食べて気持ちのいい昼寝。一時の田舎暮らしを満喫した気分。 風呂に入って腕を見たら、袖まくりした先が真っ赤に日焼けしていてびっくり。春先で雨上がりの紫外線は半端なかった様だ。 今日の写真は 3日前に散歩した出早神社境内のカタクリの花。草丈数 Cmの小さな花だが群生していると見事だ。あちこちに「かたくりまつり」という幟が立っているせいか、平日にもかかわらず結構多くの人が訪れて思い思いにカメラやスマホで写真を撮っていた。 |
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2025/04/24 |
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| -2396- 同級会 |
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今日は再び岡谷へ。GW前のせいか高速はガラガラで走りやすかった。 という話とは関係ないし、もう1週間以上前の話になるが 11日(金)に私が同級会を招集して、その昔学校のあった街に集まった。 ここに書いたように、今年2月に ある同級生の訃報を受け取ったんだが、その彼が訃報の届く僅か 1月ほど前に「最後になるかも知れないから同級会を頼む」という寒中見舞いをくれていて、結局それが彼からの最後の言葉になってしまったので、私としては彼からの<遺言>を受け取った気分になってしまった。それ以来 彼と親しかった別の同級生に電話して日にちを相談して、結局 11日と決めて住所の分かっていた 15人に、前回の同級会以降鬼籍に入ってしまった二人の情報などを加えて開催通知を送った。 結果 6名から参加の返事が届き、当日は全員が時間通りに集まってくれた。一人を除いてコロナ禍前の同級会に参加していたメンバーだが、中には軽い脳卒中の後遺症で杖を突きながら参加した男もいて、総じて「歳とったな」という感じは否めない。そのジジイ達が昼間からアルコール提供していたファミレスに席を陣取って 50年前の昔話に花が咲いた。今回始めて参加した土木工学科出身の T氏は、聞けば東日本大震災の前日まで 折悪しく福島原発で大手ゼネコンの土木技術者としての仕事で滞在中で、帰ろうとしていたところに原発爆発が発生し、要請を受けてそのまま現地に留まり電源車の手配?現地への搬入などを担当したとか。当然支給された防護服を着てはいたが付いている放射線量計のアラームは鳴りっぱなしで、しかし現実には交代要員もいないため結構な長時間の作業に従事し、その後定期的に検診を受けているとか。 あの蒸気を吹き上げる原発爆発の実況映像を見ていた時は まさか同級生があの場で活躍していたとは思いもしなかったが、そんな話を聞いて いろいろな人生があるものだと今更ながらに感銘した同級会だった。 3時間ほどの楽しい時間を過ごして、次回の再会までの互いの健康を祈りつつ別れた。 今日の写真はカタクリの花を見に出かけた近くの出早神社境内で見た花。アズマイチゲかと思うが、以前同じところで見たアズマイチゲの花は全て上を向いていたのに、今日見た花は 3輪ともどれも下向きだった。花の時期なのか、それとも似て非なる別の種類なのか? 残念ながら、上向きの花がなくて花芯などは見ることが出来なかったので確証はない。 |
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2025/04/20 |
| -2395- PC修理 -2 |
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今年中には Windows10がサポート切れになるので、今更ながらの話題だが。(個人的には Windows11機もあるので「絶対」ではないものの、今回のようにメインマシンが不調になった場合 Puppy Linuxでほとんどの作業は代替できるが、唯一 昔注文された Excel VBA の質問が 1~2度/年 程度は来るので、その際には Windows機がないと困るという事情から メモとして残す) 昨日メインマシンの M/Bをフリマの中古で買って交換したと書いた。 メインマシンが使えない間、サブマシンの Puppyやら時々は Windwos10を起動して使っていたが、こちらも何故か調子がイマイチで起動デバイス選択をあれこれイジっていたら Windows10が起動しなくなってしまった。不思議なことに、Paragon Backup&Recovery などで保存してあったディスクイメージを復元してみたんだが、Windowsの修復が必要というエラーで起動できない。修復メニューに入って修復しようとしてもできず、コマンドプロンプトから sfc /scannow などを実行してみたが修復はできなかった。 Windowsも 8~Vistaのあたりからブートシーケンスが非常に複雑になって、一旦機嫌を損ねるとなかなか言うことを聞いてくれない。 元々 マザボの P8Z68M Proは Windows 7時代のマザボで、Windows10は保証範囲に入っていなかったかも知れないが、今までは問題なく起動していたのに。BIOS設定画面でも Windows10などでは必須の UEFIが 「UEFI compatibule」となっていて、起動優先順位の O/S設定では UEFI-Windows boot loader で起動したり、UEFIが表示されずに デバイス名を選択すれば起動したりと、イマイチ設定方法や動作が理解できない。 実は、こちらのサブマシンの O/Sは色々遊んだことがあって、通常使用している SSD以外に、HDDにも 2つほどインストールしてあったので、こちらを試すとそのうち 一つは無事起動できることがわかった。しかし流石に SSDの起動に慣れてしまった身では、HDDの起動や重いアプリの起動は遅く感じてしまってイライラがつのる。 そこで Qiling Patrition Master Free などで、新規購入した SSDにその HDDの Windows10パーティションをクローンしてみた。しかし何故かクローンした SSDも同じ症状(ブルースクリーン)で起動できない。GPTなどの設定を見直してもサッパリ。あれこれやっても進展しないので、思い切って起動不良のHDDのうちの一つの HDDのパーティションを全て削除しておいて Windows PEのディスクから「新規インストール」を選択してインストールしてみた。一応インストールは成功したんだが、今度は マザボ(ASUS P8Z68M Pro) の BIOS設定画面で起動優先順位で この SSDを選択しようとしてもこの SSDがリストに表示されない。唯一「起動」タブの下の方の「起動デバイス選択」には SSD名が表示されて、これをクリックしたら新しくインストールした Windows10が起動した。 起動はするがこのままでは電源ONするたびに BIOS設定画面に入らなくてはいけない。 ![]() あれこれ Web検索したり、BIOS設定画面を確かめたり、コイン電池を外して BIOSリセットしてみたが症状は変わらず「起動オプションの優先順位」には SSDの Windows boot loaderが表示されないまま。最後にわかったのは 「起動」タブの真ん中あたりにある「ハードドライブのBBSの優先順位」を開いたら、SATAポートの 2番目に続けて SSDの型番(P2 Patriot)が表示されたので、この優先順位をトップに持ってきたら起動優先順位のドライブのリストにも表示された。いままでこんな設定はイジった記憶はなく Windowsや Puppyの O/Sのディスクを接続すれば選択できたのに。何が変わったんだろう? まだ 何故今まで SSD名が表示されなかったのか? 今までは Windows boot Managerと表示されていたのに今度は SSD名が表示されるのか?はよくわかっていないが、とりあえず新規インストールの Windows10が起動するようになったので良しとしよう。 今日の写真はベランダで今年も咲き始めた鉢植えの カラーの花。 |
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2025/04/19 |
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| -2392- 天変地異? |
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最近、空?地中だけでなく地上の人間社会まで、今までには聞いたこともないような驚くような出来事が起きている。 身近では、桜が咲く前に夏日が来たかと思えばその2?3日後には冬日のような寒い日があったり、山火事も各地で勃発。 ミャンマーや隣のタイでは大地震が起きて高層ビルが潰れたりして多くの人が亡くなっているとか。 その一方で人間界では、数十年前に日本に対して関税障壁だとか NTTなどが門戸を閉ざしているとか因縁つけて「自由貿易」を盾にして市場開放を迫った国が、今度は全世界に対して高率な輸入関税をかけると言い出した。かと思えば、社会主義国の周辺の異民族国家を盟主国から引き剥がしておいて、盟主国が武力でその異民族国家を侵略始めたら、今度は一転して盟主国の親分と裏取引して、異民族国家の埋蔵希少金属を奪い取ろうとしている。多くの人の命が奪われている最中だから火事場泥棒より酷い仕業だ。世界はさながら第二次世界大戦前の国家間の弱肉強食に戻ってしまったようだ。 そんなことを考えていたら、今日のこの辺りでは強い雨が降っていたかと思ったら突然屋根に当たる音が変わって大豆より大きい雹が降ってきた。写真は暫くして外に出てみたら車のフロントガラスにまだ積もっていた雹。当たれば十分怪我しそうな大きさだ。 そんなことを言っても、悲しいかなすべての事柄に「クワバラクワバラ」と唱えてゴマメの歯ぎしりしか出来ないが。 |
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2025/04/03 |
| -2391- フジTV問題 |
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タレントの中居氏のセクハラ問題が露呈させたフジTVの経営体質問題が第三者委員会の報告を経て、再び日々メディアを賑わせている。 この話題で 40年間トップに居座り続けたという日枝相談役の話を聞くたびに、思うことがある。 20年ほど前まで在籍した会社にも、30年近く実質トップに君臨していた S氏という人物がいた。その人は私が入社後、10年ほどした時に社長に就任し 以降20年超を社長?会長?最高顧問 という形で君臨していた。私が直接話をしたのは数えるほどしかなかったと思うが、いろいろな人から話を聞いてそれらの断片をつなげて推測すると、やはりかなり上昇志向や権力への執着心が強い人だったと思う。 私が入社した時は北村社長という人だったが、その人からの S氏への社長交代劇はあまり公にされていないが、結構生臭いものだったらしい。その当時まで売上の中心を占めていたカメラなどの既存分野と、カメラをベースとしつつも新規事業として内視鏡という医療分野開拓に成功した立役者の F氏(当時専務)との間で椅子争いがあり、その競争に勝った S氏は徹底して F氏の人脈排除に努めた。その最大の出来事が当時社内で「A計画」と呼ばれた開発部隊の各主幹工場への移転計画だった。当時の開発部隊は技術の横断的活用や採用に利する狙いで八王子事業場に集約されていたが、その事業場が事業拡大に伴って手狭になったことで、カメラと顕微鏡の開発部隊はそれぞれの主幹工場のある長野県へ、内視鏡の開発部隊は会津工場のある福島県に移動させるという計画だった。当時は八王子の開発で新製品を開発すると、それを工場に生産移行する際に担当した開発部隊がそっくり数ヶ月間工場に出張して工場の技術部隊と協力して生産立ち上げするというスタイルが定形で、最初から開発部隊が工場の近くにいればそうしたムダもなく効率的な生産開始が可能になるはずという尤もな理屈だった。 しかし、これを知った各開発部隊の特に若手開発者は突然地方への転居を迫られるという現実にうろたえて、八王子市内の本屋の店頭から普通なら山積みになっているはずの転職関係の雑誌が一夜にして消えたと言われるほどだった。私自身は長野県は出身県でもありさほど拒否反応は感じなかったが、実際私のところにも後輩の何人かが憤慨して飛んできて「もしこの計画が実行されたら私は辞めます」と訴えた。しかし、どう考えても入社数年の彼らがそのまま他社に転職しても「開発」という仕事で食っていけるとは思えず、その場しのぎではなく本心から「今の君らの実力じゃ他社に移っても通用しない。とにかくあと 5年一緒に仕事をしよう。その間に実力をつけて、その時やはり同じ結論だったらその時に判断すればいい」となだめた。 結果的には、そうした開発者の騒動が影響し、労働組合も反対の姿勢を強行に打ち出して、その計画は頓挫して撤回された。・・・と表面的には解釈されているが、私の解釈は全く異なる。この計画(誰が最初に言い出したかは私も知らないが)の責任を取る形で当時開発担当取締役だった当時の F専務が退き、間もなく何人かの F専務派と目される技術系や製造畑出身の役員数人も退任していった。この結論が下されて間もなく、S氏(当時社長)がカメラ開発の定期的な方針説明会にわざわざ出席して「あの計画を私は止められず、皆さんに迷惑をかけて申し訳なかった」というような話をしたが、それはあたかも自分ではない誰かが無理に進めた計画だったというような言い訳に聞こえた。 穿った見方をすれば、社員の反発を予想した上でわざと計画を進めさせておいて、労働組合も使って「計画潰し」にかかった出来レースとも思えなくもない。実際、その後の粉飾決算で有罪確定した元社長 K氏もその一時後任の T氏も労働組合の委員長経験者だった。更に、F元専務以降も稼ぎ頭の内視鏡出身の役員は社長にはなれず、社長の椅子はアメリカ法人の社長経験者に譲る形で推移し、当時そんなことには一向に関心のなかった私ですら「どうして一番の利益事業の人が社長にならないんだろう?」と思った記憶がある。 そんな経緯を経て、社長の座を確固たるものにした S氏は社長を9年間努めた後、会長職、更には最高顧問という形で君臨し、社長人事などのトップ人事に介入していた。実際 私がデジカメ1号機開発を成功させて、軌道に乗ったデジカメ事業がそれまでの全社売上と同じ 2千億円に達したのに、「もう一つO社を作ろう」という合言葉で新事業を牽引してきた立役者の Kさんは権威主義が大嫌いで S氏とは折り合いが悪く、その S氏(当時は最高顧問)からの 当時の K社長に「あいつだけは絶対に役員にはするな」という厳命が下されていて、K氏は「申し訳ないが、SさんのOKが出ないので君を役員には出来ない」と Kさんに謝ったという。Kさんは「全社一番の 2千億円の事業を育てたのに役員にもなれないなんておかしい」と憤慨し、他社への移籍を決めた。それを聞いた私は「院政のOBが役員人事を牛耳る会社に未来はない!」と憤慨して後に続いた。 そんなS氏(当時社長)から私が初めて直接話を聞いたのは、私の初の海外出張でラスベガスで行われたカメラショーに行ったときのこと。アメリカの販売代理店は、元は米国の商社だったがそれでは自社製品の販売戦略が思うに任せないということで、その商社から営業権などを取得して米国子会社が設立されたが、その立役者が S氏だった。ラスベガスでの食事会とニューヨークに移動してからの二度の食事会で S氏は、私を含む出張者や現地法人の駐在員を前に ことさら我が家意識をひけらかして昔の武勇伝や苦労話を聞かせた。 その出張から帰って暫くして、八王子事業場にいた私に、八王子の総務の女性から電話があり「S社長が見えて、Nさんをお呼びですが来られますか?」と言われた。突然のことで戸惑ったが、とりあえず役員応接に出向くと S氏は「今年のベースアップは精一杯頑張ったつもりだが、社員の反応を聞かせてほしい」などと切り出したが、結局 30分ほどの時間は「自分が如何に社員のことを大切に思っているか」という話に終止して、聞かされた私は「暇つぶしだったのかな?」「出張したのは私だけではなかったのになぜ一人呼ばれたのか?」などと思った。 その後、上記の「A計画」の話などが出た時に「社員を第一に考えている」と言っていた社長がこんな計画を本気で進めようと思うはずがない、きっと何か裏がある・・・・と勘ぐった記憶がある。 そして、損失隠しの件が明らかになって、「そうか、社長の椅子はアメで損失隠しの申し送りというムチが隠れていたんだ」と納得した。 というような、今となっては記憶の彼方の昔話のような話だが、こうした権力に執着する人は長くその権力に居座ることでいつしか「オレの会社」と勘違いしてしまい、自分にとって都合のいい人事を行い、仮に自分に従わない人が頭角を表せばどんなに有能な人でも潰しにかかるようだ。だから目的に適った組織などとはほど遠い腐った組織になってしまうということなんだろう。 別の場で聞いた他社の話でも、TVの会社と同じブランド名の同業他社でも同じような構図があったらしく、社長・会長を退いた後も顧問などの肩書で居座って人事を牛耳り、後任社長を数年ずつですげ替えては自分は院政を敷いていたという。後任社長たちも社長にしてもらった手前、根幹の人事については何も文句は言えず唯唯諾諾と従っていたらしい。まぁこちらは大した弊害も聞こえてこないので、同じとは言い難いかも知れないが。 そう言えば・・・と思い出して、自分の書いたことながらほとんど忘れかけていた昔の記事を検索して見つけたページとかこれとか(残念ながらリンク先のページはすでに存在しないが)。元々「良い人」も長期権力の座に居座ることで組織が腐る、だからどんな実力のある人でも長居してはいけないという教えがあるが、最近とんと聞かなくなった諺「流水不腐」を思い出した。 ニュースを見ていたら思い出がつながってついつい長くなってしまった。 今日の写真は昨日出かけたザゼンソウの里公園で購入したユキワリソウ。名前につられて購入したようだが、直径 1Cmに満たない小さな花。地植でうまく根付くか? |
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2025/04/01 |
| -2390- ザゼンソウの里公園 |
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家人が突然、ザゼンソウが見たいと言い出した。どうやら地方紙の写真を見て近くに咲いているのを知ったらしい。Google Mapで検索すると車で30分程度のところに「ザゼンソウの里公園」という湿地帯があって、ほぼ同時期にミズバショウも咲くらしい。私ははるか昔 尾瀬でミズバショウは見たことがあったが、ザゼンソウという花は写真でしか見たことがない。写真では、まぁ正直な感想では陰気っぽい花だなぁ くらいにしか思わなかったが、画材を探したい家人には従うしかない、と言う事で出かけた。 途中、昔何回か買ったことのあるこの地方では比較的有名な大福餅の店によって大福餅を購入しつつ、急峻な有賀峠の頂上を超えた先の少し開けた駐車場に車を止めた。この峠は昔何度も通ったが、こんなところに公園なんてあったっけ? と思ったが、入り口にはあまり目立たない表示があり、すでに車が30台くらい停まっている。 そこから朽ちた案内に従って昨日の残雪がある道を数百m行ったところで、地区の保護活動の人たちが焚き火をしつつ山野草の販売をしたり、ジャガイモの焼き芋を振る舞っていた。その先の入り口から木道が伸びていて、そこを歩いてザゼンソウを観察しに。沢水が流れる湿地帯の枯れ葉、枯れ草の中の所々に暗紫色の袍が見えるが、後ろ向きの花が多かったり、高い木道からでは中の花芯(花序と言うらしい)は見づらい。木道から離れたところの花も多いが、それでもなんとかスマホのカメラで数枚のそれらしい写真は撮れた。一回りして帰ってきたら家人は半割の焼き芋をご馳走になっていたが、どうやらそれが本日最後の振る舞いのようで、私はありつけず。 珍しい雪割草の花苗を 500円で購入して、30分ほどの滞在で帰路に。これで1?2日はご利益があってくれるだろうか? |
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2025/03/30 |