| -1903- 天邪鬼:その3 |
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大勢に逆らうと言う話の続きで。人生で最も大勢に逆らったといえば、やはり既存のフィルムカメラ事業部から飛び出し、新事業としてのデジタルカメラ事業を立ち上げた時だっただろう。 実は事業部からの異動希望を表明してまもなく明らかな制裁人事で工場転勤を命じられ、5年間の工場の開発出先組織での勤務の後、人事担当役員も含めた面接で退職をほのめかせつつ「最後通告」を行った結果、やっと新事業推進部への転属が叶った。そして移動前に職場では最後の送別会を開いてもらったがその席上の挨拶の内容は今でも鮮明に覚えている。 話した内容は予てから考えていたことで、自らの意志で安定を捨てて飛び出すという蛮勇が後々に正しかったと自己評価できる結果に結び付くためにも、自から宣言して鼓舞することも必要と考えていた。「今のフィルムカメラ事業は沈みゆく難破船に多くの難民がひしめいているような状況だ。しかしその船を元通り安定させるようなことは私には不可能だが、私に出来るのは一人で海に飛び込んででも もっと大きな安定した船を見つけてその船で皆を助けに来ることだと思う。」というようなことを話したが、恐らくあの時点で大勢はそんなに早く既存のカメラ事業が衰退するとは思ってもいなかっただろうし、「不遜なことを言うやつだ」くらいにしか思われず、すぐに忘れ去られただろう。ただその時私に分かっていたのは、「フィルムカメラ事業は遠からず必ず終焉する。」と言うことと「新事業推進部で旧知の K部長の下で新事業の立ち上げを行う。」と言うことだけで、新事業が大成するという何の確信があったわけではない。ただその先流れに棹をさすことも増えるだろうから多くの軋轢があることは想像に難くなく、それを乗り切るためには自ら退路を断つという決意を示す必要があるだろうと考えたものだった。実際デジタルカメラ1号機の企画開発の過程で社内の猛反発や抵抗にあうたび、何度もこの挨拶を思い出しては「後戻りはできない。トコトンやるしか無い。」と自らを奮い立たせたことがあるから、あの挨拶も無駄ではなかったということだろう。 そして数年後、デジタルカメラ事業は業界ダントツのシェアを獲得し倍々ゲームの売上増を実現し発売の3年後には既存のフィルムカメラ事業の売上を超え、最後にはデジタルカメラの事業推進部は古巣のフィルムカメラ事業部他の既存事業部を併合して新事業部の中心事業となっていったが、そうなった時「ああ、瓢箪から駒かも知れないが、あの時の言葉が実現できた。やはり大勢に逆らってでも自分の信念で行動してよかったんだ。」と嬉しかった。 今日の写真は娘の家の近くの山際のヤブの中に咲いていた花。シロヤマブキだろうか? |
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性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2017/05/05 |