| -1902- 天邪鬼:その2 |
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昨日の続きで 大勢に逆らった記憶は数多いが、その中の一つに フィルムパトローネの規格のDXコードの対応カメラの開発というのがある。 DXコードとはフィルムパトローネ表面にパターンを付けてそのパターンを読み取ることでフィルムの種類(撮影枚数やISO感度など)が自動で読み取れて、それまでのカメラでは手動でセットしなければならず、忘れると露出の狂った写真が取れてしまうなどの問題が解消できるというもの。1980年代半ばに登場し、カメラ各社も競って対応カメラを開発した。 当然私の在籍した会社も大号令の元、まず特許になる機能を考えて優先出願するという方針が出されて皆がそれに従った。しかし、この規格は元々KODAK社が作りフィルム各社がそれを採用したもので、しかもフィルム感度や撮影枚数という限られた情報で、私には主たる機能のフィルム感度などの自動設定以外にそれほど魅力ある機能が実現できるとは思えなかった。だから方針にも関わらず本気で考えた事はなく1件も出願した記憶がない。むしろ「100年に一度の技術革新」という触れ込みにも関わらずフィルムの平面性・解像力などの制約からフィルムの厚さや面積もほとんど変わらなかったのでパトローネも微々たる小型化しか出来ておらず、ロールフィルムというものを巻き上げなければならないフィルムカメラの限界を見せつけられた思いを強くし、「これでいよいよフィルムカメラの技術進歩も終わりだ。」と確信し、この先フィルムカメラには私のやるべき仕事は無くなったと判断し、フィルムカメラ以外の製品開発に携わることを画策し始め事業部外への移動希望を出した。そんなこんなで私は工場勤務となり、幸いにも意の進まない DXコード対応カメラの開発担当を割り当てられることはなかった。果たせるかな、暫くしてデジタルカメラが登場すると技術進歩が止まったフィルムカメラは市場的には急速に駆逐され事業から撤退する運命となるが、奇しくもその引導を渡す役を買って出た形になってしまったところに私の天邪鬼の「鬼」たる所以があると密かに思っている。 まさにあの時の開発組織の「特許、特許」という号令、それに盲従してゴミのようなアイデアをつつく周りの動きは私から見れば「技術」の「ぎ」の字も読めない熱病か滑稽な茶番のように映った。 今日の写真はヤマエンゴサクという山野草の花だと思う。出早神社境内で撮影。 |
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性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2017/05/04 |