e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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-1605- また続き!
長くなりついでに、もう少し付け足しておく。
この最初のデジタルカメラのプロジェクトでは、カメラ本体1機種だけを開発したのではなく、80万画素と40万画素合わせてカメラ3機種とそのカメラからコードをつなぐだけでプリントできるパソコン不要の昇華型プリンタ、画像ファイルをパソコンを介さないで電話線で送信する通信アダプタ、そしてパソコンにカメラの画像ファイルを取り込むためのユーティリティソフトまで同時開発し発売もほぼ同時だった。まだ認知されていない商品の魅力を訴求するためにはどれも欠かせないと強面のリーダーが決断したことで、最初私ともう一人のカメラの開発リーダーの男も「1年」という開発期間実現に確信があったわけではないが、何年も研究してきた部隊が1機種でも2年以上かかると言って引かないのに、この全体計画を明らかにすると「君らは正気か?」「何億と言う開発費をドブに捨てる気か?」と普段は紳士的な役員、事業部長クラスからも面と向かって叱られた。そんな批判にリーダー一人が矢面に立ち、確信があるわけではないから私達二人は、ただ聞き流しつつも「この屈辱は絶対に晴らしてやる」と心の底で思っていた。
スタート後間もなくして、ユーティリティソフトと通信アダプタの部隊はそれまで別の所属でノンビリ研究していた部隊を急遽私の下に移動させて開発に投入したが、当然カメラの発売に合わせて商品化するという方針になったので、今までデジカメ本体に合わせて2年以上必要だと主張していた手前「無理だ、無理だ」の大合唱になった。何かというと「そんなこと出来ません。責任持てません。」という答が帰ってきた。その度に何が問題かを具体的に聞き、対案を示して「万が一何かあっても、誰も君らに責任取れなんて言ってない、全部オレの責任だからとにかく言われたようにやってくれ。」と発破をかけた。最初の頃こそ、そうした無用な摩擦が多かったが、彼らは今までフィルムカメラしかやって来なかったと思っていた私がソフトウェアや通信に関してもそこそこの的を得た指摘をしたと見え、次第に言うことを聞いて動くようになってくれた。事業部外への異動を申し出て工場に移動させられた5年間は、太公望よろしく暇がなくとも将来絶対に必要になると信じてパソコンいじりばかりしていたがそれも無駄ではなかった。
今になって思い出しても、自分でもこうした「不可能」を可能にしたことが信じられない。幾つかの場面を除いたら個々のポイントでどんなことをやり、どんな話をしたのか、具体的に思い出せることは殆ど無い。本当に大風呂敷何枚分もの白紙に描いたような商品計画案が、反対や横槍にも屈せずほぼ画の通りに実現したんだが、性格柄 それほど必死だったとも思わないし、もしかしたらあの1年間は神がかっていたのか、でなければマインドコントロールで操られていたのかもしれないとすら思う。
そしてカメラ本体がいよいよ発売になった週末が終わり、翌月曜日に出社してきたその中のソフトウェアリーダーが私の所に飛んできて「デジカメ売り場に行ってきました。横に私の開発したソフトウェアの化粧箱が山積みされて売られていました。自分の担当製品が店頭に並んで目の前で売れていくのは初めてです。思わず私も買ってきました。」と興奮して話してくれた。(ソフトウェアなので、設計者である彼は買わなくとも使えたんだが)それを聞いて、多分彼らもそれまで自分の製品が店頭に並んだり、町でユーザーに使われたりしているシーンを見たことがなく、自分の担当製品が実現することのやりがいに気づかなかったんだろう、これからはもう少し違った角度から仕事を捉えることができるようになるだろう、無理強いも無駄では無かったと嬉しかった。

今日の写真はボトルブラッシュ。ことしも真夏の花が咲き始めた。
性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2016/05/18