e日記風 独り言

#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、政治や社会問題に対する勝手な私見を書いてみました。専門家ではありませんが、岡目八目という言葉もある通り、時には本筋を突いていることもあるかも?
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楽 天 の 商 品

-894- 辞め時:続き
昨日の続きで。
しかし、逆に「辞め時」をチャンス以上に「切り札」として使えるんだと偶然から学んだのはある出来事だった。
デジタルカメラ事業が当初の「大法螺」通りの好調なスタートを切って間もなく、次の事業のネタとしてデジカメに使う新しいメモリカードの規格化を考えようということになった。フィルムカメラやデジカメはカメラ本体よりもフィルムやメモリカードと言った消耗品ビジネスのほうがはるかに儲かるというのが常識で、カメラ本体が軌道に乗ったら今度は何とかメディアビジネスをしたいというのが当時の直属の上司 Kさんの従前からの悲願でもあった。
丁度もう一つのデジカメメーカーも同じ事を狙っており、半導体メモリメーカー 1社と合計 3社で新しい規格を作って、そのメモリカードをデジカメメーカーが品質まで責任持てる体制にしようというものだったが、当時の事業部内の人間たちからすれば「デジカメメーカーが独自のメモリカードの規格を作って成功するわけがない」と頭から否定してかかっており、当然猛反対で真っ向から企画潰しに合った。しかし反対が強ければ強いほど燃える天の邪鬼な性格で、社内は事業部トップと直談判して説得し企画会議を通して、何とか生産に漕ぎつけられそうになった時、当の上司Kさんから別の半導体メーカーも枠組みに入れるように 残り 2社と交渉するようにとの指示が降ってきた。まさに青天の霹靂。ここまで積み上げてきたのに・・・規格化が実現してから改めて交渉しても良いのでは? という思いはどうしても断ち切れない。
しかし製造が 1社に独占されるという事も問題であることは事実。重い気持ちではあったが、当の半導体メーカーの事業トップと 何回か折衝を重ねた。もう1社のデジカメメーカーの担当者はどっちに転んでも損はないと高みの見物に回った。当然、半導体メーカーからすれば今まで目の敵にしてきた競合他社にも作らせるという話が簡単に通るわけがない。私と半導体メーカーの事業部トップとの何回かの交渉は平行線のまま進展せず、最終判断する日程を迎えた。最後の交渉の会議の帰りがけのエレベーターに乗る寸前、エレベーターのドアが開きかかったのを確認して「私の上司は言い出したら聞きません。もし御社の譲歩がなければ本気でリセットするでしょう」とだけ暗い顔で伝えた。決して演技ではなかったが、上司Kさんの破天荒な性格もそれまでの何回かの会議や親睦の席で伝わっているだろうからそれにかけるしかない、と心のどこかで思っていた。それを受けて、最後の判断をそのメーカーの事業トップが当社に伝えに来るということで、当社に席を設けた。
その日の朝、私は ここが「辞め時」と踏んで、徹夜で書いた今までの思いを綴った上司宛の「辞表」を懐に忍ばせて その上司Kさんの部屋に行った。「今日回答を持ってきますが、もし相手の答えが『ノー』だったらどうしますか?」と聞くと、事も無げに「当然、ご破算にするだけだ」と返ってきた。やはり、と思い「では、これを読んでおいて下さい」と辞表を机の上において部屋を出た。その直後、Kさんが部屋を飛び出してきて「なんだこれは!」と叫んだが、時間的に中身をよく読んだとは思えず「そこに書いたとおりです。よく読んでいただければわかると思います」とだけ答えて席に戻った。
そして、いよいよ相手会社の来社で気まずい雰囲気で応接室に並んで、それを察したようにすぐ相手のトップが切り出した。「御社の意向は十分にわかりました。当社としては ○ヶ月のプライオリティーで承諾します。」と。万策をつくしたものの想像もしなかった答えに私が思わず ホッ とするのと同時に、上司が「いや~ぁ、○○さん、助かった。御社がノーと言ったら、私はこの男をクビにしなきゃならなかった。私がご破算にすると言ったら辞表をたたきつけられたんでねぇ。」と笑いながら私を指さした。
まさかここで暴露されるとは思いもしなかったので、私もビックリしたが、相手のトップや当社の周りの人間はもっとビックリしたらしい。
後々、 他 2社の交渉担当者から事ある毎に「いや~ぁ、私はこの仕事に首をかけるつもりはなかったけど、○○さんはクビをかけてたんだ」と何度も冷やかされたものの、このことがあってから 交渉はトントン拍子に進み、私が提案した独占のスキームもすんなり受け入れられた。
後に(私が退社してからだが)、その事業はほとんど何もしないのにミケタ(億単位で!)の売上とその何割もの純利益を上げていると風の噂に聞いた。
私ともう一人の技術者の 2人だけで主に交渉し、1年ほどをかけただけの仕事だったが、一時期 全体事業の利益の大半を稼ぎ出し、真っ向からツブしにかかった人たちがリーダーを務め何十人と関わった製品の穴を埋めているであろう図式は、社外から見ていてもくすぐったかった。
この時以来、サラリーマンは辞表を出しても死にはしないから、一生に一度か二度、会社から求められる前に辞表を出すつもりで、場合によっては使って仕事することは結構「使える」もんだ、ということを学んだ。背水の陣での判断が重要ということもあると思うが、少なくとも「辞め時」を覚悟した人間の態度にはそれなりの雰囲気が漂い、周りを巻き込むオーラでも発するのだろう。
蛇足だが、その時の、相手の事業トップが最近 会社トップに就任したという話が伝わり、あの大胆な判断をした人ならでは・・・と、懐かしく思い出した。
今日の写真は、2ヶ月近く前に花をアップしたが、アロニア(西洋カマツカ)という樹木の実。まだ色づいていないが、実がなっているのに気づいた。
2013/06/24