e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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-38- 畏敬の念 その1
選挙も終わりました。自民が僅かに後退したけど、それ以上の民主の躍進、そして社民・共産の敗退・・・・時代(人の心)は確実に変化しています。
そこでこんな話題:「イケイノネン」なんじゃそりゃ?と言われそうな死語ですが。でも私は最近人々が皆「畏敬」という気持ちを忘れてしまっているということを強く感じています。電車の中の大人の目を全く気にしない若者だけでなく。
畏敬の念とは、字の通り「畏れ敬う」心ということだと思うのですが、天気予報のない昔は、抗(あらが)うことの出来ない自然現象などを畏れ、しかし太陽や水といった全ての生命の源を与えてくれる自然を敬うということが生活の基本にあったのではないでしょうか。それが、科学の力で予報できたり、場合によってはダムなどで洪水を回避できたりするものですから、ついつい自然を人間の都合の良い方向へと制御しているような錯覚に陥ってしまったのではないでしょうか。
この流れは、工学の世界においては百年程前から強くなってきて、しかし自然を無視したせいで環境破壊が進みすぎたことで、最近やっとそれが間違いだったと言うことに気付いたようです。
でも、それだけでは終わらないと思っています。かって工学の世界で起きたと同じようなことが、時代を経て今医学の世界で起きているような気がします。人間はもとより生物の体は、自然の最も崇高な産物であるにも関わらず、病気の制覇に躍起になるあまり、それを当面都合の良い方向へと捻じ曲げようとしているように思えます。どんな個性であろうと、与えられた個性に感謝しその範囲で精一杯生きることを忘れて、都合悪い部分だけを取り去ろうとしているかのようです。それが、病気で苦しむ人たちを救いたいという医学本来の目的から、誰よりも早く実績を上げて名誉を得たいと言う気持ちの人たちによって、間違った方向へと進み始めたと思うのは私だけでしょうか。
BSEは正しく、こうした自然の摂理を無視した人間たちへの警鐘のような気がします。道徳的過ぎて最近の風潮には合わないかもしれませんが、「畏敬の念」という言葉を今一度思い出す必要があるような気がします。
今日の写真は、近くの小学校の庭でそんな人間に構わず、ひっそりと咲いている花 桜草でしょうか?
2003/11/10