#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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-2366- 同級会?老人会? = 今日は画像なし m(_ _)m = |
昨日は故郷飯田で開かれた中学時代の同級会へ。 還暦のときに再開し、そこから 4~5回行われた同級会もコロナ感染の脅威から5年ほど様子見だったが、コロナ感染の恐れが遠のき、後期高齢者になったのを機会に招集がかかった。 同級生も皆高齢化し、ポツポツと物故の名前も見られるようになって、出席の顔ぶれは固定化してきており、今回もコロナ直前の 5年前に出席した面々がほとんどだが、出席17人(男 8人・女 9人)中顔を見て即名前を思い出せたのは僅か数人。話す表情などを見ていて思い出せたのが更に数人。残り数人、とりわけ女性はなかなか思い出せない。私は背丈とか顔とか特徴があるらしく、幸か不幸かそんな人からも「中島クン」と呼ばれて話しかけられて冷や汗をかきつつ仕方なく「ごめん、名前が?」と謝って名前を聞く次第。何ともバツの悪い思いだ。 しかし地元在住のコアメンバー数人が頑張って幹事を交代して回してくれるので有り難い。なぜこんなに纏まったクラスになったんだろうか?と思いを巡らせると、担任の木下先生の人柄に行き着く。先生が我々を3年間受け持ったのは 26歳の頃、ちょうど結婚した頃で若くてやる気満々、小学校の先生たちとは違って兄貴のような存在で何事にも全力でぶつかってくれた。 個人的には 3年の修学旅行時、私は旅行前週末にだるさを覚え風邪を引いてしまって、親は迷惑をかけては・・・と休む連絡を入れたが、先生は「熱が大したことなければ養護教諭が同行するし、折角だから責任持って連れていきます。」と言ってくれた。お陰で4泊5日の旅行は無事皆と一緒に楽しく過ごせた。当時家には電話が無かったから、帰ってきたら母から「初日に先生が電報をくれたけど、『ハナノイカルガブジオワル』ってあった。意味がよくわからないけど『無事終わる』だから大丈夫だったと思って安心していたよ」と聞かされて、それは「花の斑鳩 無事終わる」だよ、と言って笑った記憶がある。 また、休日にはマセた女子が新婚家庭を覗きたいと興味津々だったんだろう、ダシに使われて近所の数人が誘われて先生のアパートに何度も押しかけた。今考えれば新婚家庭に生徒が何人もお邪魔虫していたわけで恐縮至極だ。しかし先生も奥さんも嫌な顔ひとつせず、昼にはオニギリを作って出してくれた。 またある時は(放課後か休日か覚えがないが)、先生が通勤に使っていたスクーターをワンパクな男子数人が「乗せてくれ」とせがんだら、校庭で交代で乗せてくれてフラフラしながら校庭を一周した記憶がある。今どきなら中学生をバイクに乗らせるなんて PTAからクレームがついて懲戒さるような話だが、おおらかな時代で皆先生は大好きだったと思う。そんな先生も4年前コロナ真っ盛りの時に 84歳で逝かれて、地元の同級生達が葬儀に参列したと報告があった。 そんな先生のお陰でクラスのまとまりが良かったんだろうと思う。 |
2024/09/29 |
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