| -1321- フランスのテロ |
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イスラム過激派が起こしたフランスのテロで、各所でも言われていることだが、ちょっと違った観点から敢えて書いておこうと思ったので。 もちろん無差別殺人行為やテロ行為は許されないが、表現の自由をかざした風刺画の正義についても疑問が呈されている。私が感じているのは、ラテン系、アングロサクソン系あるいはゲルマン系などのいわゆる白人による優越意識を根底にした文化・思想の押し付け行為のようなもの。うがった見方ながらどうもあの人たちは「自分たちの考えることこそ正しいから、他の人々をそれで感化しよう。自分たちが正しくないと思うことは地上のどこであっても存在してはならない。」と考えるふしがある。 私がこうした思いにとらわれるのは、かつてのスペインなどによる南米征服やイギリス・フランスによる北米でのインディアンへの行為によるところが大きい。大航海時代のヨーロッパの人たちはキリスト教の布教と富の追及が表裏一体となって、まずは探検家をバックアップして未開の新天地を探し、そこに布教を理由に宣教師と商人が入り込み、次には軍隊が派遣されて原住民を騙したり迫害駆逐して自分たちの軍事的、文化的支配地域を広げて行った。その頃は、例え南米のインカで国王を人質に金塊を略取した揚句殺しても、誰からもそれを非難されなかった。或いは勝手にインディアンの居住地を設定し、それ以外の土地は自分たちで勝手に分配しておいて、従わない部族を駆逐し、そこにアフリカから奴隷を連れてきて自由の国アメリカを作った。 そうした繋がりを辿っていくと、どうも根底にあるのは自分たちの文化・価値観=キリスト教の優越感でありそれ以外への差別意識のような気がする。キリスト教よりも古く重なるところも多いユダヤ教ですら、第二次世界大戦時のホロコーストの根底にはゲルマン民族の優越意識とキリスト殺害へのユダヤ人の加担があるとされているんだから。 そうした人たちが、時には世界で一番信者の多いイスラム教徒の信仰対象を、またある時は震災で苦しむさ中の福島の原発事故でサッカー選手の手を4本にして風刺し(風刺と言うよりバカにしているともとれる)、別の場面では自分たちの食文化には存在しないクジラ捕鯨をやめさせることに躍起になっている(私は別に殊更クジラ肉を食べたいとも思わないが、闘牛を見て見ぬふりをする人たちが国際機関まで巻き込んでメクジラ立てる様は理解に苦しむ)。 シャルリ・エブドのような風刺は侵されざる自由で、結果異文化の人たちの気持ちに土足で踏み込んで害することも自由となってしまうと、ますますそうした思いが確信に変わっていく。 今日の写真は強くなった日差しを受けた満開のロウバイの花。昨夜の雨と逆光で光っているようだ。 |
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2015/01/17 |