お父さんの "ちょっと自慢話" その2

● どうしてエンジニアになったの?


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履歴: 2006/ 6/16 初回アップ

前置き
現代と言うのはある意味残酷な時代です。 一昔前、私たちが育った時代には多くの子供たちは、田畑や自営業の家の中、家の近くの工場や商店などで父親が額に汗して働く後姿を見ながら育ちました。 それが現代は、産業の大規模化、交通の進化でお父さんたちの多くが家から遠く離れた会社で働くようになり、子供たちが目にするお父さんは働く後ろ姿よりも きつい仕事に精魂尽き果てて家に帰り、ゴロッと横になってTVを見ている姿くらいになってしまいました。 しかもお給料は銀行振り込みですからお母さんは生活費を銀行にもらいに行きます。 ・・・・と子供たちが小さかったある時、そんな危機感を抱いて作ったページです。
 いつか子供たちが大きくなって、自分で仕事をするようになった時にこのページを読んで少しは父の足跡を知って欲しい、そんな気持ちでアップしました。 ですから、極めて私的な話ですが、それほど歪曲や誇張はしておりません。

  1. <どうして電気メーカにいかないの?>
  2. お父さんは、高校卒業すると 東京に出て、今の NTT・・・ 昔電電公社と言っていた 電話局に入りました。 ラジオやアンプを作るのが大好きで、秋葉原に行くと 1日飽きずに 歩き回っては、部品を買い集めていました。 ですから仕事は、自分で設計をしてモノを作ってみたくて仕方なかったのです。
     でも、電電公社では電話交換機の保守(不良になった交換機を修理する) という仕事で、他人の設計した交換機の図面を見ながら故障したところを 捜して修理するのです。 ある時、回路図を見ていてこの交換機が生まれながらに持っている不具合を直せることに気づいたのです。 早速、交換機(当時の交換機は、クロスバー式というリレー機械式の交換機で 体育館くらいの部屋にデーンと設置されていたのですが、その交換機の間を あっちこっち配線を直して回って、とうとう設計の問題点を改善したのです。 これは、電話局でも話題になり、表彰を受けることになりました。
     でも、こうした改善では飽き足りません。当時電電公社は、武蔵野と横須賀に通信研究所という研究所がありました。 でもこの研究所は、◯大とかを卒業した超エリートが行くところで、高卒のお父さんがいけるところではありません。
  3. <何が何でも大学に行こう>
  4. 高校卒業のときにも、同じ大学を一応受験はしましたが、本気でなかったのか落ちていました。 でも、今度は本気です。1年間、仕事が終わった後に 日比谷図書館に通って勉強しました。 (実際には、就職後の不慣れな生活で体調を崩し、居眠りの時間の方が ずっと多かった?) そして、翌年 何とか○立大学のB類(夜間)電気工学科に合格できました。 仕事をしながら 4年間大学に通い、5年目に(夜間は5年間です)5年目の学費が貯まると、電電公社をやめて 学校で卒業研究をとりました。
  5. <他人と同じ道は歩かない、同じ事はしない>
  6. そして、就職を決める頃になったとき 就職担当の教授から「どこに行きたいの?」 と聞かれたので、ダメ元で「通信研究所か、NHKの放送研究所」 と答えたのですが、当然「うちの大学からは無理だよ」と言われてしまいました。
     「じゃあ、精密メーカか医療器メーカを紹介してください」
     「どうして電気メーカじゃないの、ほとんどの人が電気メーカに行くのに」
     「きっと、私が電気メーカに行ったら、レールの上を走るような仕事しかさせてもらえないでしょう。 でも私は 毎日敷かれたレールの上を走るのではなく、荒野のど真ん中にどうやってレールを敷こうかと考えるような仕事がしたいんです。 精密や医療の分野ではまだあまり電気技術は主流ではありませんが、これから電気の技術が主流になるはずで、面白い仕事が出来ると思います。
    「???」
    というようなやり取りがあって、「じゃあ知り合いが、精密と医療器両方をやっている会社にいるから、紹介しよう」と言われて、今の会社を選びました。 そして、入社試験の役員面接で また、「電気専攻なのにどうしてうちに来るの?」と同じ質問を受けて、同じ答えをしました。 (この質問をされて上のように答えたことで、ペーパーテストの結果は悪かったのに、「受かった」と直感しました。)

  7. <トランジスタから IC へ>
  8. お父さんが入社した頃は、電気回路にはトランジスタが普通に使われアナログICも、ラジオや ステレオアンプに使われだしました。 でも、この頃の デジタルIC は バイポーラIC (TTL IC)という 今ではほとんど使われなくなった種類の IC でした。 それがやっと使われ始めた頃です。まだ今デジタルで主流の CMOS IC 等と言うICはありませんでした。 会社に入って初めてやった仕事は、配属されて2ヶ月目くらいにトランジスタを使って、電池の残り容量をチェックして表示する回路を設計するという仕事で、丁度それまで進んでいた設計に問題が見つかったため、「N 君も 出来たら一緒に考えて」 と言われて、あまり深く考えずにトランジスタを3つ並べたら(カメラの中はとても狭くて、3つしか入らなかった)ちゃんと動く回路になってしまった?というのが初仕事でした。
    でもそれからは、ほとんど ICを使っての仕事でした。

  9. <マイクロコンピュータの登場、でも使わせてもらえない>
  10. そのころ、Intel という会社からマイクロコンピュータという ICが発表されました。 計算機室という広い部屋にデーンと居座っている大型コンピュータと性能は違うものの、基本的な働きは同じICで、それが 10mm□くらいのシリコンチップの中に入っているのです。 これはすごい技術だと感心しました。でもまさか、カメラの中にこのICが入ってくるとは思いませんでした。
     それが、まもなく 他社からこのマイクロコンピュータを搭載したカメラが発売されるようになったのです。 (実際には、1チップマイクロコンピュータと呼ばれる、 とても簡単なマイクロコンピュータでしたが) しかし、お父さんの会社ではなかなかこうした新しい技術を使って製品を提案しても、受け入れられませんでした。
      「カメラは単なる道具だから、本当は道具なしで仕事が出来るのが一番いい、一番優れた道具は人間の手だ。手は思い通りに動いてどこにでも一緒についてくる。 でも、さすがに手では写真がとれないからカメラがあるが、そのカメラが主張しすぎると道具本来の姿からだんだん遠ざかってしまう。」というのがその頃の上司の考え方で、技術が本当に商品として価値が無ければ採用はしないと言う思想を持っている人でした。 だからそれまでのアナログの ICで出来ることをデジタル化しただけでは価値がないと、それを開発することは否定されてしまったのです。
    随分してからそれではダメだということになって、マイクロコンピュータを使ってカメラを開発するようになったのですが、それまでの技術の遅れですぐには他のメーカに追いつけません。 でも新しモノ好きのお父さんは、他社のカメラや人の設計したカメラのシステムを見て、何でこんなことをしているんだろう。 もっとこうすれば簡単になるのに、そう考えることがよくありました。

  11. <いよいよ自分の考えたアイデアを実現できる>
  12. そして、自分が担当して新しいカメラを開発することになったとき、それらのアイデアを全部実現しようと考えました。 丁度その頃、組織が変わって上司も今までとは変わったのです。 それらの考え方は、その後 会社のカメラのシステム設計の考え方の 基本になったものばかりです。
      例えば、カメラの中にシリアルバスラインという人間の体でいけば神経のような情報通信の線を1本だけ設けて、全ての ICが このデータラインから必要なデータを受け取るようにします。 しかし、カメラはシャッター制御のようにとても短い時間で動作しなければならない時があります。 シリアル情報というのは信号線の数が少なく済む反面、同じ信号を伝えるのには時間がかかるためこうしたシビアな時間の制御をしようとするとどうしても時間がかかってしまって、制御の精度が出ません。 そこで、このシリアルのデータラインとは別に、トリガー信号のラインを別に1本設けて、シャッターを制御するICは、シリアルラインから受け取った信号で制御の準備をしておいて、最後の動作のタイミングはこのトリガー信号ラインの信号の変化した瞬間に合わせるようにしました。 これで、それまでカメラの中に複雑に張り巡らされていた信号線は半分以下のとてもすっきりしたものになり、設計も汎用的で楽になりました。
    その他、EEPROMというメモリIC を使って、カメラの調整を完全自動化したり、マイコンのプログラムをモジュール化して、このモジュールをカメラの外部から呼び出して実行できるようにすることでカメラの製造工程のチェックや調整、不具合の検出を格段にやり易くしたりしました。

  13. <てっちゃん>
  14. もちろん、これらの個々の設計はみんな別の人がやってくれたのです。 お父さんは、ただ 「こんなことをしたい、こんなことが出来るはずだ」と言っただけです。 それをその通り形にするには、とても大変なことです。 でも幸せなことに、こうしたアイデアを実際の形にしてくれるとても能力のある開発者が回りにいたのです。
    その中でも「てっちゃん」と呼ばれているひとは特別でした。
     マイコンを使ったシステムがうまく動かない場合、それを外部から解析することは当時とても大変なことでした。 ICの外に出てくる信号だけを見て、どこが悪いのか調べるのがそれまでの解析方法でしたが、マイコンが入ってきてからは、ICの外部の信号を見ただけでは何も分かりません。 パソコンのような大掛かりなシステムは、開発ツールと呼ばれる高価なツールを使えば不具合動作を後から再現させてみてどんな動作をしたのかトレースして解析することも可能でしたが、 カメラに使う簡単なマイコンではこんなことは出来ません。 たとえ出来ても、カメラには いろいろなタイミングスイッチやセンサーなどが一杯入っており、これらの素子との関係で不具合が起きることがほとんどです。 例え 1台のサンプルカメラに、こうした開発ツールを繋いで解析しても、そのカメラのスイッチのタイミングが問題のカメラと違っていたら、同じ現象は起きません。
    1台の高価なツールではなく、全てのカメラで皆が使える簡単なツールが無くては仕事にならないのです。
    あるいは市場で不良になってサービスセンターに戻ってきた時、そのカメラのどこが悪くて不良になっているのか CPUの動作をトレースして原因が見つけられれば修理も格段に楽になります。

  15. <失敗するヤツは、頭の中をかち割って何を考えているか見るしかない>
  16. そこで、「マイコンの中は人間の頭の中と同じ、結果だけを見て その考え方(プログラム)の悪いところを調べることは不可能。 間違いをする人にいろいろな条件を与えて、その時頭の中がどんな順序で何を考えるのか、それが読み出せるようにすれば 間違いに至る過程のその人の考え方の誤り(プログラムバグ)を見つけられるはずだ」というようなことを言いました。 マイコンの中の レジスタという記憶をする部分のデータを外部から読み出したり、逆に自由に書き換えたり出来るようにしたり、あるいは部分的なプログラムをカメラの外部から呼び出して実行できるようにしようと思ったのです。 そして外部からこうしたことを自由に出来るツールもマイコンを利用して安く作ったのです。
    それまでの開発の方法を革新したこのツールの 1号機は仲間内では「てっちゃん」の名前を取って「てつ1号」、その後工場からサービスセンターにまで使ってもらうようになると「T-1号」 と正式名称をつけて使われるようになりました。 このツールが登場したことで、マイコンを使用したカメラの開発は格段にやり易くなりました。 今では、どんな製品でも、マイコンを使った製品なら当たり前の開発の仕方になりましたが、当たり前になる前に自分で考えることこそ大切で、エンジニアの仕事の真髄です。
    例えば最近のいろいろな製品の中に使われている ARMと呼ばれるワンチップの CPUにも同じ考え方で、こうしたシリアル通信で CPUの中の状態を読み出したり特定の番地からの命令を実行するようなデバック機能が普通に搭載されるようになっています。

  17. <自分の道具は自分で作る>
  18. もう一つ、伝えたいことがあります。
     それは「道具」についてです。誰でも仕事をするのに道具を使います。 入社以来ずーと上司だった人は、道具に関して人一倍の思想を持った人でした。 その道具の良し悪しが仕事の出来栄えや速さを何倍も変えてしまうのです。目の前の仕事に追われている人は「道具なんて」と言うかも知れません。 誰かが作ったものを使えばいい、それはそうです。 でも他の人と同じ道具では同じ仕事しか出来ません。 或いはもしかして、他の人とちょっと違った体格をしていたら、他の人より劣った仕事しか出来ないかもしれないのです。
     お父さんのお父さんは、よく畑や田んぼで使う道具を暇なときに修理や手入れして時には改造していました。 左利きだったりしたこともあり、きっと自分が本当に使いやすい道具は自分で作るしかなかったんだと思います。 でも農作業でもこうして自分なりに、自分の体格や体力に合わせた道具で仕事をすることはとても大切なことです。
     仕事をしようと思ったら、まず最適な道具はどんな道具かを考えることが必要です。そして自分のしようとしていることがまだ他人がやったことが無い仕事なら、それに使う道具は自分で作るしかないのです。 そして、先人が作った道具を使わせてもらいながら、更にその道具を新しい道具にしていく。 大げさに言えば人類はこうして進歩を繰り返してきたのです。
     でも、道具を作るには時間がかかります。とりあえず道具を使わないで或いは有り合わせの道具で仕事をした方が、その仕事は早く終わります。 でもこれを繰り返していると、いつまで経っても仕事の仕方は進歩しません。 時間がかかっても、少々出来が悪い道具しか出来なくても、とにかくこうしたツールを自分で作って使うという事がお父さんの仕事のスタイルです。


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