e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、政治や思想・社会問題に対する勝手な私見を書いてみました。専門家ではありませんが、岡目八目という言葉もある通り、時には本筋を突いていることもあるかも?
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楽 天 の 商 品

-896- 辞め時:ついでに
回顧録風になったついでに本当に辞めたキッカケを書いておこうと思う。私が、最初の会社に辞表を出す決断をした話だが。
前々回の話で、メモリカードの規格化の仕事を完遂するため、ここが使いドコロと「辞表」を使ってでも頓挫を避けようとしたものの、杞憂の通り私の辞表ではやはり上司の Kさんの判断を覆すことは出来なかったかも知れず、ただ交渉相手の会社の判断が土壇場で覆り九死に一生のような救いになったことを書いた。
その 半年ほど前になるが、その新しい独自規格のメモリカードを採用するという社内整合が会議決定を経て行われ、社外も 3社で大筋の合意に達し、細部の条件を詰めている最中だった。
その頃私は 3社の交渉にほとんどの時間を費やし、毎日 仮の事務局が置かれていた半導体メーカーに通勤しているような生活をしていた。たまに自社に戻ることはあっても、事業部の企画部門が置かれていた新宿の本社に出社するだけで、開発部隊のいる事業場には全く顔を出す機会はなかったが、社内整合が終わったので、当然 デジタルカメラの開発部隊は新しいカメラの開発を新しい規格に基づいて行なっているはずだった。しかし現実には、少なくとも一部の開発者が異なったメモリカードの規格情報を入手して検討をしており、決定を覆したがっているというウワサが伝わってきた。
そして、上司の Kさんが海外出張中のある金曜日の午後、私が珍しく本社に帰ると どうやら翌 土曜日に事業部長に打ち合わせの予定が入り、他のメモリカードへの切り替えを主張していた開発の中心人物 3人が揃って来るらしいと分かった。
そこで、私も翌日 休日ながら朝から出社して待っていると、問題の 3人が私の席の前を気まずそうに通って事業部長の部屋に入っていくではないか。私は、これはやはり例の話を Kさんのいない隙に事業部長に判断させようとしているに違いないと判断し、呼ばれもしないのに 3人のあとに続いて事業部長室に入っていった。当時の私は、次期メモリカードの専任で他のテーマには関わってはいなかったが、メモリカードは全てのカメラに共通したテーマでもあるから他の話であったとしても聞いておく必要があるとも言えるし、もしメモリーカードの話なら事業部長の手前 私を排斥は出来ないだろうと読んだ。しかしその時、恐らく事業部長は 私も 3人に呼ばれて出席したと思ったに違いない。
話はやはり カメラ開発ではメモリカードを既存のメジャーなカードに変更したいという提案で、<至極もっともな理由>を並べ立てて今からカメラに搭載するメモリカードをメジャーな既存カードに変更したいという提案をした。彼らが一通り話し終わるのを待って、私は一言だけ発言した。
「この新しいメモリカードの話は、デジカメメーカー 2社が合意できたから進められた話です。もし当社がこの枠組を外れたら、残りの カメラメーカー1社だけでは成り立たないので、アチラも全ての商品の開発が頓挫します。会社同士の合意を基に進めている話を今から覆したら、当社は以降 この業界では全く相手にされなくなりますから、判断はその覚悟を持って行なって下さい。」とだけ言った。
本来、カメラユーザは 他のPCユーザなどと違いメモリカード選択の重要性が高くは無いことや、市場での価格維持などのマーケティング的な話をすべきかもしれないとは思ったが、この時の事業部長は数年前まである自動車関連商品の会社にいて豪腕のリストラを実施したことのある人だった。自動車関連商品とは、例えばタイヤは 自動車が 1台売れれば自動的に 4個、ライフ中含めると 多分 8個くらい売れる商品であり、全く高機能高性能なタイヤが開発できたとしても、それが市場を何倍も大きくすることはない市場、つまり商品の開発努力の報われ方が全く異なる世界だと思っていた。ブランド間のシェア拡大だけが売上を伸ばす方策であり、そこがデジカメ市場とは全く異なる。カメラの市場というのは、例えば 自動露出機能や自動焦点機能が実現する度に、あるいは 一眼レフブームといったユーザの動向で何倍にも広がったことがある市場であり、そうした感覚を分かってもらうことは難しいし、そんな説明をしようものなら論点がボケるし、最悪「そんなことは分かっている」と苛立つかも知れない。
だから、もし元々の提唱者の Kさんの留守に、自分で覆すような判断するなら会社の看板という覚悟を持ってほしい。とだけ伝えることにした。
結果は狙い通り、「とりあえず、今までのまま進めて下さい。もしそれで決定的な不都合があればその時にもう一度話をしましょう。」というものだった。恐らく、他の 3人にしてみれば隙を狙った土曜日にいるとは思わなかった私に闖入されて、導きたかった結論が出せずに、しかも何ヶ月か遅れでそこから彼らの担当の開発製品の方向転換を余儀なくされて随分慌てたに違いない。
その夜、一晩かけて文面を作り、明け方に私は Kさんと 事業部長の 2人に宛てて、苦言のメールを発信した。一旦決めた話をこうして蒸し返すのは、しかも新規メモリカードを推進している Kさんの留守を狙って話が起きるのは事業部長と Kさんの間の隙が見越されてそこを狙われているからで、当時 事業部長が口癖のように言っていた、理解とか融和と言うような(正確な用語は忘れたが)ことはまず自ら実践をして欲しいと。
その時、事業部長からのリアクションは・・・・無かった。少なくとも私には何も。まぁ期待もしていなかったが、もしあればあったで、続けていくつかの苦言を進言するキッカケにするつもりはあった。不思議なもので、弦の共鳴のように、一部にほんの僅かの振動を加えるだけで大きな振動が起きるような人間関係もあるのに、思い切って大きな外乱を加えたにもかかわらず何も共振が起きないような関係もあるもんだと、この時思った記憶がある。
そして、最後の最後に前々回書いたような Kさんと私との間のドタバタを経て、いよいよ新しいメモリカードとそれを採用したカメラが発売され、すぐその年の売上予測が立てらた。その結果、メモリカード関連商品の売上がどのカメラの単独売上よりも高いことが分かった。しかも利益はカメラ本体よりもはるかに多い。今までのメモリカードは周辺機器などを扱うブランドが金繰りのために安値で放出するために突然値崩れして、在庫リスクだけが高くなるのでとても図体の大きなカメラメーカーが大量に扱える商品ではなく売上は無いに等しかったが、そうしたサードベンダーを規格などの権利を使って合理的に閉めだしてそれを自分たちの手に取り戻したことの意味が数字として初めて分かった瞬間だった。その時になってあの苦言以来初めて事業部長に呼ばれ「当社では、売上がコレより一桁低い事業部も独立している。メモリカードも単体として十分にその資格を持っている。当面は 事業推進部という位置づけにしたいが君がそのシナリオを書いてくれないか。」という話を聞いた。
しかし、既に書いたように私は 40歳の頃からマネージメントで生きるという道は自分の道ではないと切り捨てていた。「もう一度、次の新しいビジネスを立ち上げる可能性を探してくれ」などと言われたら心が動いたかもしれないが、私にとってその時はもうメモリカードというものはカメラが1台売れれば 1枚が売れることが分かっており、その売上を追いかけたり利益を増やしたりという話は興味のない話で、どうすれば世界で初めてデジカメ専用のメモリカードをデジカメメーカーだけが独占販売できる枠組みが出来るのかなどというワクワクするような命題もそこには既に無く、過去の話になっていた。
間もなく、Kさんはヘッドハンティングで外資系カメラメーカーに移り、私はというと そのカメラメーカーが新たに仕掛けようとしていた、全く新しい現像原理の写真用印画紙に対するアイデアが湧きつつあり、その話のほうがずっと面白く思えたので、一緒に移ればまた新しいビジネスを立ち上げられるのではないかという思いのほうが強くなって、迷わず会社に<引っ込める意思のない>辞表を提出した。
今日の写真は、「七重八重 花は咲けども・・・」という太田道灌の逸話で名高い八重咲きのヤマブキ。一重のシロヤマブキの実の写真はこの間アップしたが、いくら待ってもこの花には実が付かないんだろう。
2013/06/28