e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、主に私が読んだ「本」やその内容に関連した記事です。
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楽 天 の 商 品

-1069- 「巨人たちの落日」
昨日この欄で一昨日買ったと書いた標題の本に関連した話題なんだが、同じ作家の「大聖堂」を読んでいて感じたことがあるので、書いておこうと思う。似たことは過去にも書いているかもしれないが。
「大聖堂」では、石工の親方トムが妻と子供たちを連れて仕事を探す旅の途中 森の中をさまようところから物語が始まる。その妻が身籠っていて、深い森の中で産気づいてしまい男の子を産むが、妻はそのまま帰らぬ人となる。トムは妻の亡骸を獣から守るため子供たちに手伝わせて土に埋めるが、母乳も何もない中で途方に暮れ、その墓の上に我が子の乳児を置いたままその場を離れてしまう。しかし幸運なことに、その子はそこを偶然通りかかった修道院の修道僧に拾われ修道院で育てられると言う設定。
この本を読んでストーリーと同じくらい魅入られたのは、トムのように一介の石工でありながら「荘厳な聖堂を自分の手で建てたい」という当時とすれば野望にも近い願望を描いて家族を苦難の旅に連れ出す人間が12世紀の当時からいたと言うことや、他人の捨て子を拾って育てるような善行の人がいる一方で、もちろん悪行非道の領主や教会関係者がおり、更にはその悪人に立ち向かう市井の人々が必ずある割合で存在すると言う人間社会の描き方だった。
良く働くアリだけを何匹か集めると、その中からある割合で必ず仕事をさぼるアリが出てくるという話を聞いたことがあるけれど、人間社会でも、古今東西問わずもちろん教育のあるなしや社会システムにも関わらず、己の食を削ってでも赤の他人を助ける人間、使いきれないほどの財宝に囲まれながらも更に欲をかいて親族すら殺める人間、そして家族の衣食住もそっちのけに己の仕事にロマンを求める人間、こうした多種多様な人間が必ずある割合で出現するんだと言う、まぁ良く考えれば当たり前で今更何をと言うようなことを再認識させられた。
今度私が読もうとしている「巨人たちの落日」は、どうやら1900年代初頭の第一次世界大戦前夜の不穏なヨーロッパを舞台にして何組かの家族を中心に展開するストーリーのようだが、歴史は繰り返すと言うことわざ通り、丁度百年を経た今まさに民族と紛争のるつぼのようなバルカン半島に隣接したウクライナに民族と覇権の紛争が起きている。メディアのニュースで伝えられるのは主に武装集団や過激派とそれに対抗する体制側の動向、或いは紛争をチャンスと見て覇権を狙って舌なめずりする他国の動向だが、多分この小説はそんな中 市井の人々が右往左往しつつも「人間らしく」生きていることを想像させてくれると思う。

今日の写真はアヤメ。ショウブとカキツバタ、アヤメは殆ど区分けがつかなかったが、調べたところアヤメは乾燥地に生えて花の中心に網目模様「アヤ」があるらしく、カキツバタは水辺で花中心が白く、ショウブは湿地~畑に咲くが中心が黄色いらしい。以上からこれは普通の庭に咲いており「アヤ」があるからアヤメと言う結論に。
本・映画・TV・音楽:
2014/04/26