e日記風 独り言

#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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楽 天 の 商 品

-1946- 心象風景
(ちょっと小説っぽい書き出しになってしまうが)人には、一度見たら一生忘れることが出来ず、その後の人生の岐路でしばしば思い出して決断を左右するような原風景があるように思う。今回神奈川に帰ってきて毎年今の時期に会う高校時代の親友と昔話をしていて思い出したので書いておく。
私にも半年ほど前に書いた池井戸潤の小説のような非常にドラマチックな決断の中で、自分でも何があの時の私をあそこまで頑なに突き動かしていたのか? と思うことがある。そしてそれは「他の誰の真似でもなく自分は自分らしく生きたい」と言う思いであり、そう思う時に必ず思い出すかつて見た一つの風景がある。
それは 10代の終わり頃、高校を卒業して東京に出て間もなくした頃に見た風景だった。時は更に遡るが、私の生家は信州の南端の町並みを見下ろす小高い川岸段丘を登りきった上に建っていた。そこの庭から今の飯田市の町並みを見下ろすと何百軒かの屋並が一望出来た。特に灯りが灯る夕方から夜にかけて私はその景色を眺めるのが好きだった。眺めながら考えたのは、あの一つひとつの灯りの下にはどんな家族が暮らしていて、それぞれにどんな人生が営まれているのだろうか、そんな事を考えながら眺めていた。
高校を卒業しその田舎の家を出て上京して間もなくした頃、関東北部に嫁いだ姉の家に一人で初めて遊びに行った時のことだった。上野駅で乗り換えた東北線が荒川の鉄橋を越す前だっただろうか。電車は盛り土の高いところを走るので車窓には見渡す限り続く屋並が広がっていた。山国で育った私は地平線という言葉は知っていても実際に見たことはなかったが、それはあたかも「地平」の代わりに「屋並」が広がっているようだった。そんな景色に驚いて生家で見た景色と比べつつ、何万と言うあの家一軒一軒に人々が暮らしているんだ、と思った。一望しただけの中におそらく何十万人と言う人がいる。その人達は一人ひとりは性格も考え方も違っているのにそれが何十万人と集まってしまうと、その中の一人の違いなんて溶けて消えていってしまうのでは?と思わせる風景だった。そんな景色に強い違和感を感じつつ、漠然とながらこれからは私もその中の一人になって行くんだ、と思ったが頭の中ではそう分かっていても、しかし心は自分が何十万分の一になることを明確に拒否もしていた。車窓から見えるどこまでも続く屋並の風景を眺めながら、隣の人と同じ自分ではなく何としても自分は他の誰でもない自分のままでいなければと思ったのだ。
それが後の入社面接で「レールの上を走るのではなく、荒野の真ん中にレールを敷くような仕事がしたい」と言わせたのであり、幸いにも希望通り開発に配属されてからは、他の人に出来る仕事をすることで競争するのではなく、常に自分にしか出来ない仕事を見つけて自分らしく仕事をしたい、と考えるようになった元だった。そういう視点から仕事の対象を見ていくことで「こうすれば成功するに違いない」と思えるようになり、それを実行するためにはどうすればいいかに知恵を絞り、反対されても安易には引き下がらない決意が生まれたのだと考えている。

写真は暫く前の撮影になるが、ウメモドキの実だと思う。まだ緑の葉に真っ赤な実が綺麗だった。
2017/12/04