e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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楽 天 の 商 品

-1911- 再び天邪鬼:その7
(思い出した時に書いておかないと年々私も記憶が怪しくなってきたので・・・・1年前にもほぼ同じ事を書いているが、別視点から敢えて書くことに)
しかし何と言っても最大の山場は生産開始予定を2ヶ月後に控えた6月末、専用 ICの一次試作が出来上がってきた時だった。IC内の幾つかの重要な機能にバグが見つかり、そのままでは生産移行出来ないと判断したが、最初の工程から修正したのでは2ヶ月ほど生産開始が遅れてしまう。計画通りの日程を確保するには ICの途中工程からの修正で出来るかどうかが問題で、しかも最終確認が終わっていないのに ICの初期工程は既に生産に入らなくてはならないし、その他の日程のかかる光学部品やメカ部品なども生産を開始する時期にさし掛かかっており、加えて既に記者発表会の会場を押さえなければいけない時期でもあった。S社内では特急で原因を解析し途中工程からの修正案を検討したのでその説明をしたいと連絡があった。内心では画素数こそ少ないもののベンチャーとの共同開発やビデオで実績のある回路の寄せ集めで回路ブロックごとには確立したユニットだから、最終のメタル層の修正で十分修正できるだろうと思ったが、開発ステップからするとそんな時こそ油断は禁物で、簡単な修正でもやり直しが発生すれば発売日程は崩れてしまう。
だから今度こそ勝負どころと思った私は、「当社としてもここから先はプロジェクト以外の部門を動かさないといけなくなるので私だけの判断では進められません」と、この時だけは K部長と Kk常務を担ぎ出して一緒にS社に出向いてもらった。その意を汲んでか、S社は On事業部長が自ら回路の不具合原因から対策案まで全てを説明してくれた。最後に「この通り我々は全力で計画の日程を死守します。御社も予定通り発表して下さい。」と言って太鼓判を押された。
これには私も驚かされた。自社ではこうした技術内容の説明は、部長はおろか課長がすることも稀で担当のリーダークラスが行うことが多かった。社外に対する説明とは言えバグの原因から対策案まで理解して納得しなければ出来ない説明を事業部長が自らしたことで、流石に「分かりました。その通り進めて下さい。当社は予定通り生産・販売に向けて準備を開始します。」と答えざるを得なかった。
おそらく S社の社内では事業部長自らの力のこもった約束を反故には出来ないと担当者までもが必死で修正・確認作業を進めてくれたに違いない。それから約1ヶ月後バグ対策した ICが出来上がると、事業部の威信をかけた修正は全ての不具合がとれて ICは見事正常に動作した。もし修正が失敗していれば見込みで生産スタートした生産用 ICは全て廃棄処分しなければならないかも知れず、そうしないで済むことに胸をなでおろすと共に初めて「1年」の実現が見えてきた。
そして On事業部長の太鼓判からまもなくして社内では光学部品の生産の準備と発表会の準備が開始された。発表会は N新聞の大ホールが予約され、新聞・TVなどのメディア各社はもちろん主だった写真家や主力販売店宛に1ヶ月後の日付入りで発表会の招待状が発送された。広報から招待状が発送されたことを聞かされて、今までは何か問題があれば試作費用など合計にして億単位の損失は発生するものの内部の損失処理で済んだが、発表会を公にしたこれからはそうは行かない、「もう本当に後戻りは出来ない。」と言う一層の緊迫感がのしかかってきた。
そんな緊迫感の中7月末の夏休み前になるといよいよ最初の試作機が完成すると連絡があり、S社の工場に T氏と私が招かれて試作1号機の動作確認に立ち会った。室内で事業部の女性をモデルにしたり工場敷地内で風景などを撮影したが、カメラのモニターに映し出される画像はもちろん、即 PCに取り込まれて大画面で表示された画像、そしてプリントされた画像はどれも想像以上の出来栄えで関係者からは一斉に拍手が湧いた。
続けて社内評価用の試作機が数台作られて、私の手元にも2台が届いた。私はその試作機を使って早速発表会用のサンプル写真を撮り始めた。試作機自身の写真を初め同時発表する他のシステム商品のモックアップや花の写真、そしてプロジェクト内の女性などを試作機で撮影してそのファイルを夏休みに自宅に持ち帰り、夏休みを全て潰して自宅に籠り発表会用のプレゼンテーション資料を作った。
実はそれまでの新商品の発表会はプロジェクトリーダーが行うという決まりがあり、それはメカが主体のフィルムカメラではメカ設計者のリーダーが担当することが普通で、電気系エンジニアの私は一度もやったことがないばかりか花形商品を担当させてもらったことがないので発表会に出席したことすらなかった。しかし広報の担当者が言うには、商品の発表会は OHPを使って説明するので手書き原稿と写真撮影用の試作のサンプルなどを渡せば、広報部内で OHPシートを作ってくれると言う。OHPとは透明シートの文字や写真を投影し1枚ずつめくりながら説明するもので、原稿は Wordなどの一般の文書作成アプリで作ることが出来るから私は広報に頼む必要はない。しかし私としてはこんなすごいデジタルカメラの発表に旧態依然の OHP ? あの白っちゃけた文字や画像? こんなにきれいな写真はたくさん見せたいのにその度にシートをめくったら注意が逸れてしまう、それで見る人を感動させられるの? という気持ちが強かった。ここは鮮明な写真が投影できて、しかも画像だけをズームアップするなど効果的に次々と切り替えたり文字が行ごと、一文字ごとに次々表示できてキーポイントを強調できるパワーポイントというプレゼンテーション用のアプリを使って発表すべきだろうと思った。しかしそのことを広報に話すと、担当者は困った顔をしてパワーポイントなんて広報は作ったことがないし委託先にも作れる人がいないだろうと言う。
実を言えば、私自身もそれまでは アメリカから来た Apple社などのコンピュータ関連の会社の人が発表会で使っているのを見ただけで社内の人が使うのは見たことがなかったし、自分でも概要を知っているだけで触ったことすらなかった。しかし思いついたらやらないと気がすまない質なので、広報との話の後で早速パワーポイントアプリを購入し、自分のノートPCにインストールしてみた。1時間も触ると文字や写真の挿入など大体の操作はできることが分かったので、広報の担当者には OHP装置や原稿の作成などの手配は断って、代わりになるべく明るくて解像力の高い PCプロジェクターの手配だけを頼んだ。広報担当者は戸惑ったようだったが逆らうわけにもいかなかったんだろう、手配を了解してくれた。
と言うような経緯から、言い出した手前 夏休み中に完全な発表会資料を自分で作らなければいけなくなった。
しかし、作りながら覚えたパワーポイントは想像以上に強力で、特にスライドショー効果と呼ぶ画面の変化は当時の OHPの退屈な画面しか見たことのない人には斬新で、時々刻々と変化しながら表示されるきれいな画像や文字の一つ一つに注意を引きつけられた・・・と思う。だがこの時のプレゼンテーション資料は広報を始め誰からも事前チェックを受けず、私の思い込みをぶっつけ本番でお披露目する結果となる。
そんな夏休みも終わり9月に入っていよいよ新製品発表会が行われた。 K部長の狙い通り事前の案内で会社としての意気込みが伝わったと見え、会場は報道各社始め競合の他社まで詰めかけて用意した 300席が満席となって追加で椅子を並べる中、冒頭の社長挨拶の後、いよいよ私が新製品の具体的な発表を行った。プレゼンテーションは試作機で実際に撮影した人物や花などの画像もふんだんに取り込んだ結果、拙い話術にも関わらず私が一番伝えたかった「こんなにきれいな画像が、フィルム現像をすることなくその場で利用できるんです」というメッセージは間違いなく伝えられた。その証拠に発表後の製品展示ブースには人が殺到し、試作機には触るのも大変な状況で、用意したA4サイズのサンプルプリントにも驚きの声が聞こえ、広報は事後の取材の予約をさばくのに嬉しい悲鳴を上げた。
発表会後、帰ろうとした私は興奮気味の広報部長に急遽慰労会に誘われて「大成功だ! こんなに盛り上がった発表会は初めてだ。」と嬉しい一言を頂戴した。広報としてはきっと私のプレゼンが終わるまでヒヤヒヤで「初めてのパワーポイントで初めての記者発表なんて無謀だと心配したけど」と言う前置きを付け加えたかったに違いない。
まぁ私自身、初めての公式プレゼンなのに経験のないパワーポイントであったのにも関わらず、ぶっつけ本番でプロジェクターとの接続チェックも事前に行っておらず、万が一の時のサブの PCやプロジェクターなどの準備もなく行ったわけで、投影出来なないなどの不測の事態が起きなかったことの方が不思議だったと、後日になって冷や汗をかきつつ思った。

今日の写真は昨日出かけた先の古刹 高山寺の塀の外に咲いていた珍しい黄色い花。どうやら木蓮の仲間でキンジュという種類らしい。
性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2017/05/21