e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、人間の性格や本質、能力、考え方から文化論までに関連した記事です。
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楽 天 の 商 品

-1901- 天邪鬼
岡谷の娘の家への逗留が長引いて、この時期気温変化が一年で一番激しい時期だけに、さすがに当初用意した服装では季節外れになってきた。連休なので取り敢えず一旦神奈川に戻ることにして、反対車線の長蛇の停滞を尻目に高速バスで戻ってきた。その車中で再び読みかけの「満州国演義」第四巻の続きを読んだ。その中の記述に触発されて考えたことを記しておく。
時代なのか地域色なのか知らないが、私は小中学校時代に大勢につくことを良しとせずと教わった気がする。
今にして思えば、それは僅か十数年前までの戦争や敗戦体験、或いはそんな深いものではなく単に先生の性格だったのかも知れないが。
軍部や一部の思想家、そして機に乗じてのし上がりたい指導者達に扇動されて巷の人々が正確な情報もないのに熱病のように開戦を支持し鬼畜米英を疑わず、国を挙げて太平洋戦争に突き進んで、覚めてみれば吹き込まれた殆どのことが虚構だったと分かったことの教訓か?「大勢に流されてはいけない、自分の視点でものを見て判断しなければ」と小学校時代の先生からはそんな背景からだったんだろう、天邪鬼もまた必要、とその漢字と共に教えられた記憶がある。(「時には」と言う修飾語付きだったかもしれないが、そんなこと都合よく忘れた)
更に、高校の物理の先生だったか? 体験談として、撃墜した米機の機内に色とりどりの細いビニルコードの束があるのを見て(当時の日本の戦闘機の中にはほとんど電気配線はなく、あってもゴム被覆の周りを布で巻いたような太い配線だったらしい)、「こんな技術の進んだ国と戦争して勝てるわけがない」とその時点で敗戦を予想したと話してくれた。大勢の風評ではなく自分の目で事実を見て考えろと教えられたような記憶がある。
しかし全ての人がそんな事を学んだ訳でもないし、第一クラスの四十数人が全部てんでバラバラに動き回ったんでは先生もたまったもんじゃないから、そんなこと感じていても教えなかった先生も多かったと思う。
考えてみれば、しかしそんな影響か?私の色々な場面での決断は大勢とは異なる方向に向かうもので、この大勢に与しないという教えがその後の私の色々な場面での決断に影響をしていたと思う。

今日の写真は散歩途中に見つけた極めて小さな花。ヒノキの仲間のヒバの花だと思うが3mm程度の小さな花が鈴なりに咲いている。この花もそれなりに花粉を撒き散らすんだろうか?
性格・能力(デジカメ開発)・考え方・文化論
2017/05/03