e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、身体や健康とかに関連した記事です。
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楽 天 の 商 品

-1472- 足指の骨折は随分良くなったが・・・・
ギブスのせいか、湿布薬のお陰か知らないが、歩いてもほとんど痛みは感じなくなった。腫れはまだ残っているが。
ところで、「健康オタク」という謗りを承知で何故こんなにもジョギングなんかにこだわっているのかというと・・・いつもの通り長い話になるが。
リタイアしてそれまでと比べると格段に暇になった頃、最初は通勤で毎日1時間以上歩いていたのにそれがパッタリ歩かなくなると体調が維持できないだろうと考えた。暇になって好きなことが1日中出来ても、健康じゃなきゃ意味ないので健康維持のためジョギングでも・・・と考えたのが最初だったと思う。別段、若いころマラソンやランニングと言ったことに興味があったわけではないが、小学校の頃から短距離は苦手だった一方で長距離の方が幾らかマシだったとは思う程度。大体 小学校の頃の100m競争なんて身長順にグループ分けされて走るから、私は当然一番背の高いグループ。標準よりは若干早くても周りの皆はそれよりもっと早かったので、いつも最後の方。早く走ろうと焦っても筋肉が言うことを聞かない。かくして100m走は運動会でも一番憂鬱な競技になった。それに比べれば、長距離は筋肉量や素質もあるだろうけど、身長によるグループ分けもないし必要な肉も付いていないくらいのヤセっぽっちで体は軽かったから最後のところはがむしゃらに気力だけで頑張ればそこそこの順位になれた。残念ながら小学校の運動会に長距離走はなかったが。
そんな程度の記憶だが、それ以外の思い出は唯一 20代の頃だったか会社の運動会かなにかがあった時、会社の周りを何周かする駅伝競技があって出たことがあり、そのアンカーになってしまったことがある。多分走ったのは 2~3Kmだったと思うが、前のランナーからタスキを渡されて随分離された先行の走者を追いかけた記憶。学生時代陸上をやっていたとか言う先輩をゴール寸前で追い抜いた・・・のではなく、あと一歩のところまで追い詰めた。それでもグラウンドに入ってからの1周は徐々に間を詰めたから結構な歓声で、それまでの苦手意識が書き換わった瞬間・・・・という記憶だけがあるが。 そんなことはともかく、歳とってからの私にはジョギングなら古くなったテニスシューズがあるしウェアだって自由だからカネがかからない、と思ったのが最大の理由であることは間違いない。
しかし、それが走ってみて最初に愕然とした。かなりゆっくりのつもりで走っても100m走るか走らないかで足が上がらなくなり、初日は休み休みで500mも走れなかったと思う。40代の頃までは、1時間に1~2本しか無い電車の時間に間に合わない時には重いかばんを担いで革靴履いていてもダッシュできたのに、とてもとても全力疾走なんて無理・・・という体たらく。
そこでふと不吉な考えが頭をよぎった。餌を捕る動物が走れなくなったら・・・或いは捕食者から逃げるために走れなくなったら、おそらくその時が動物にとっては寿命なんだろうと。そもそも自分で餌を獲れなくなったら、例え百獣の王だって立派なたてがみも虚しく群から離れ死を待つだけになるが、正しく己の今の状態は自分で糧を稼いでもいない。食べるための糧は長年の仕事で蓄えたものを取り崩しているだけで、言わばリスが冬ごもりのために巣穴に蓄えた木の実を食べてしのいでいるようなもんだ。それに加えて自分で動けなくなったら、もう動物としては生きる資格は無いのではないか・・・などと 暗~いことを考えて、一日でも長く<より「動物」らしく>生きたいもんだと思った。
その後、東北大地震の津波の衝撃的な映像を見せられて、追いかけてくる津波から走って間一髪逃げたとか、押し寄せる水に櫓にしがみついて流されず生き延びたとかいう生存者の話を聞くたびに、人間だってやはり走ることは直接生きることにつながっているんだという確信が持てて、それからは一層毎日のジョギングに励むようになった。ついでに、近くの公園にはブランコがあってその横棒がちょうどぶら下がるのに高さがいいので、走った後には1分ほどぶら下がってみたりとか・・・もう懸垂は出来ないので。
周囲からは「健康のために走っているのに、それで怪我したんじゃ・・・」と冷たい目で見られているのは承知しているが、根源的なところが「健康のため」というより「動物として生きる」というところにあるので、今回も多分良くなればすぐジョギングを再開すると思う。・・・まだ走れるかどうかは定かでないが。

今日の写真も撮りためたもの。ノビルの花だろうか?「生き延びる」に引っ掛けているわけではないが。
2015/09/20