#気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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楽 天 の 商 品

-2028- 思い出の続き; 七夕のような?
= 今日は画像なし m(_ _)m =
七夕と言うほどロマンチックじゃないが・・・・1年に一度だけ会う友達と昨夜飲んだ。
高校時代まで、私はかなり内気で人と話すのが苦手だった。兄弟も歳が離れていて近所の遊び相手もさほど口達者な人はおらず、どちらかというと子供にしては寡黙に遊ぶ方だったと思う。
それが高校に入って、希望するクラス役員になれる2年生になった時に、中学から憧れていた「放送用機器が扱える」放送委員会に自分で手を上げてなった。そこで会ったのが昨夜一緒に飲んだ友達だった。当時から「口達者で理屈っぽいやつだ」と思っており、とても議論が噛み合う相手ではなかったが、もっぱら聞き役であっても話していると妙に馬が合って楽しかった。
特に、3年になってすぐの4月末に行われた強歩大会で、彼は同じ中学出身者で作る「郷友会」と言う組織の彼の出身中学の会長で、伝統に則りその郷友会の旗を持って歩いていた。私はと言うと、1年時の強歩大会は半分も歩かないうちに乗り物酔いのように気分が悪くなって戻してしまいリタイアして翌朝に近くの駅から電車で帰宅した。2年時は(当時は自分でも知らなかったが)肺気胸を発症していたのだったか、参加すら出来なかった。「今年こそは完歩したい」と言う私に、彼は終始一緒に歩いてくれた。
そして夏休みにかけて制作した放送コンテスト用のラジオ番組作品で、放送室で宿直の先生に隠れて皆で徹夜で番組制作に励む、というような後ろめたい体験を共有した仲間になった。
高校を卒業して、お互いに東京に出てきて4年目くらいになってお互いに生活に慣れた頃、彼は私のアパートに毎週末のように転がり込んで飲み明かす間になった。しかし、その後はというとお互いに家庭を持ち、仕事も重責を担うようになったこともあり、退職するまでは年賀状以外ほとんど付き合いは途絶えた。
昨夜、改めて話してみれば、あの頃の彼は心の内で「人間にとって生とは、死とは」というような至極根源的で哲学的な悩みと世間的な倫理観との間で押しつぶされそうだったという。「今だから、お前にだから言える」と言いつつ、心臓に爆弾を抱えた彼と深酒をしてしまった。
2018/12/01