再び道具について

初稿: 2003/ 2/16


● エンジニアと道具
私はあまり物事にはこだわらない方ですが(と本人が言う場合はあまりアテにならない事も多かったりしますが)、道具に関してだけは少しだけ こだわりを持っています。
決して高級な道具をもっているわけでも、人より多くの道具を揃えているわけでもありません。むしろ人よりは少ない方だと思っています。でも「道具」と聞いた途端になにか拘 らなくてはいけないような、エンジニア(職人と言うべきかも)のアイデンティティのようなものが頭をもたげて来ます。
人間と動物の違いは、道具を使用するか否かであると言われたこともありました。しかし 近年の調査で一部の動物たちが道具らしきものを使用しているということも明らかになっ て、それほどこの主張も強くはなくなったように思います。
しかし、それはほんの少し動物と人間の境界がズレただけであって、私はやはり 人間の証として道具を考えたいと思います。少なくとも道具を 「考える」そして「作る」という行為において人間であるという証と考えたいと思います。 人間という「くくり」において、且つ エンジニアという人種にあっては殊更「道具」の 持つ真の意味に気づいてほしいのです。

良い道具に出会ったときはとても嬉しく、期待以上の良い道具と巡り会えた時には驚きと共に人生が楽しくさえ思えてしまいます。これは別にエンジニアに限ったことではなく、主婦が家事をするときでも同じでしょう。要はその仕事にどれだけ思い入れを持っているか、良い仕事をしよう、そのために新しい仕事の仕方を見つけようと思っているかだと思います。
仕事にかかる前にまず道具を整備する、小さなころに見た大工さんのそんな姿が心に焼き ついています。あるいは農作業の合間に、鎌や鉈(なた)といった刃物の手入れをしてい た父の姿が思い出されます。少しでも良い仕事をしよう、多くの仕事をしよう、早く仕事をしよう、そうした 気持ちが手入れをする姿から伝わってきたような気がしています。他人の考えたり作った 道具であったとしても、それらを一生懸命手入れして日々の仕事にあった調整をしたり、 自分の力や癖に合わせて手入れをしていく。そうすることによって良い仕事が出来たり、 楽に仕事ができたりするのです。
私の父は生まれつき左利きでしたから、使える道具が限定されてお り、なお一層そうした手入れに拘ったのかもしれません。でも、右利きだったとしても、 身長 1.8mの人が使う鍬と、1.5mの人が使う鍬ではきっと柄の長さも刃の広さも違ってい たほうが良いのではないでしょうか。単に土を掘り返すだけと言っても乾いた畑を耕すときと、 湿った田を掘り返すときでは、まったく違った道具になると思います。やはり道具には人それぞれ、 仕事それぞれに適した道具があるべきです。また、仕事をするにあたって、まずどんな道具をど のように使って仕事をするのか、それを考えて最適の道具を使い分けるのがプロではない でしょうか。
「弘法 筆を選ばず」とは、素人は仕事が出来ないのを道具のせいにするということを 戒めるために言っただけと理解したいと思います。或いは本当のプロは、最高の仕事をするため に道具を選ぶのではなく、必要な道具は自ら作ると理解した方が良いかもしれません。

● 汎用ツールと専用ツール
現代のエンジニアの仕事は、非常に細分化しておりそのパターンも多岐にわたります。 製品の開発過程を考えても、最初の企画から基礎実験-設計-試作-評価-不具合解析 等々その場その場で仕事の内容が変化し、同じ製品の設計をしているのでも求められる精 度やサンプル数、そして分析の深さが異なってきます。そうした多岐にわたる仕事を最適 にこなす為の道具(=ツール)も、何十種類 もしかしたら何百種類というパターンが必 要になってくる可能性もあります。しかし、測定器メーカなどから販売される商用のツール というのは、そんなに多くの種類をそろえることは不可能ですから、いくつかのツールをま とめて汎用化したり、或いは汎用化したいくつかの装置を組み合わせて一つの仕事をさせ るようなシステム化した、いわば経済原則に則ったツールが提案されてきます。これ らは測定器メーカがエンジニアの仕事を分析し、それらの大多数をカバーできると考えた ツールですから、確かにある程度使える道具であることは間違いないでしょう。 しかし先に書いた、大工さんが自分の仕事に合わせてとことん調整したような道具とは 何処か違うと思うのです。その違いとは、自分の仕事や仕事の対象をトコトン深く捉える か、あるいはヤッツケ仕事のように表面的にしか考えないかの違いではないでしょうか。

● 測定器のデジタル化
いまから30年程前、電気・電子エンジニアが使う道具といったら、テスター(電圧計・電流計)、オ シロスコープ、定電圧電源、発振器といった極めて基本的な測定器類が殆どでした。それ がアナログメータ類がデジタル化を始めると、あっという間に殆ど全ての機器類はデジタル測 定器/デジタルコントロール機に置換わってしまいました。確かに、測定器や電源類のデ ジタル化はエンジニアにとって非常に魅力的でした。それまで、電圧を変化させてサンプ ルの特性を測定しようとすると、低電圧電源の電圧を少しずつ変化させ、表示される測定 器の針の振れを読み取ってはメモ用紙に結果を記入して、その結果を電卓などで計算して グラフを書いてみるというようなことを繰り返していました。今なら プログラムを組みさえすれば繰り返される測定は、電圧の設定から測 定-計算処理-グラフ化まであっという間ですから、仕事は随分効率化したことになりま す。でもそれに伴って、考える時間が足りなくなって来ているような気がします。実際の 実験装置・試作機の動作・反応に向き合って、その現象の根底にある原理とか、その反応が意味す るところを何度も繰り返し頭の中で反芻するような仕事が減ってきているのではないでし ょうか。

● エンジニアとパソコン
上記のようなデジタル化したツールの代表・中心が パソコンでしょう。「パソコン=何 でも出来る汎用機」ですから、パソコンを使いさえすれば一通りの仕事が出来て、それら しい結果が導き出されます。でも、よく考えてみると、汎用機としてのパソコンをほんの 数種類のアプリケーションでしか使っていないことが多いのではないでしょうか。製品の 開発過程では、何百種類にも及ぶ仕事のパターンがあるということを書きましたが、それ らの仕事を既存の限られた測定器とパソコンと、商用のアプリケーションでこなしているのが現代 のエンジニアの仕事の大部分ではないでしょうか。

● 道具を作るのには時間がかかる
往々にして、仕事を始める前に道具なんか作っていたら、そのために時間ばかりかかっ て、仕事そのものが求められた日程に間に合わない、そうした声を聞きます。確かに、大 工さんが買ってきた道具をある一つの満足できる道具に使いこなすまでには、何百回-何 千回と同じ作業を繰り返し、その間少しずつ道具を自分の仕事に合わせて調整していくよ うな繰り返しが必要で、とても現代のような気忙しい時代には合っていない仕事のし方で しょう。仕事のスピードだけが重視される昨今の風潮で、そんなことをしていたのでは職 場でも相手にされなくなってしまうでしょう。でも5年も10年も前から、先輩が何百回と 無く繰り返してきたのと同じ方法で仕事をすることに躊躇しませんか。そんな仕事のし 方では、誰がやっても同じ、先輩や周りの人たちと違う「私」である必要はないのです。 たとえ他人の倍の時間がかかっても、自分しか見つけられない「何か」が発見できると したら、それが道具を考える過程の逡巡の中から生まれることがあるとしたら、思い切っ てそうした回り道を選んで見ることも意味があるのかもしれません。あるいはエンジニア の仕事の本質が 目の前の作業のヤッツケ仕事でいいのか、その奥に潜む本質のようなも のを少しでも引き出そうとすべきか、その考え方の違いでどちらを採るべきかの判断が違 ってくると思います。
現代のような目まぐるしい時代にあっても、意外と「急がば回れ」的な場面は多いので はないか、そう思えるのですが。

● 思い出話
(これは 1980年代の 古~い話です。当時は周りも「おっ!」と言わせた斬新な技術だったのですが、その後 自分でも仕掛けたデジカメの進歩でこれらの技術は最早「遺物」に近い色あせた技術になってしまいました)
私自身のことで恐縮ですが、そうしたこだわりを持ちながら仕事をしてきましたので、 いくつも自分の仕事と道具の関わり合いの場面がありました。もちろん数としては失敗の 方が多かったのでしょうが、幸いにして楽天的な性格で 失敗はすぐ忘れて、いい思い出 しか残っていません(周りから言わせれば、みんな失敗だったと言われるのかも知れませ んが)。
今では(日本では)、あまり注目されることも少なくなってきたのですが、カメラで写真を撮るとき に、暗い中では「赤目」現象という現象が起き易くなります。これは、レンズの近くにあ るストロボから強烈な光が出て被写体を照明するために、人間の眼球にその光が入射する と、入射した光が眼底の網膜で反射し、そのままカメラの方向に戻ってくるのです。 そして、目のレンズの作用とか、網膜の表面の正反射などの条件が重なって反射光が目の 面積以上に広く写るのです。

赤目現象の原理

日本人ではそれほど強く意識する人は少ないのですが、欧米人では眼底の色が違ってい ることから、赤色というよりは金色に写る人も多く、魔女さながらの写真になってしまう ことも多いため、この現象は写真を撮られた人からすると大問題です。実際にストロボを 使用した場合には写真撮影を拒否する女性が結構いるということさえ聞きます。ある時この対策 をカメラでやろうということになりました。ところが、暗いところで人間の瞳孔が開くた めこの現象が起きやすいとか、光を与えれば瞳孔が閉じるため改善するとか、定性的なこ とは分かっていても、個人差や周りの明るさ、与える光の強さや時間との相関が全く分か りませんでした。
眼科の医学書を調べたりしても、設計にそれほど役立つデータは得られませんでした。 そうした中で、ある医学機器のメーカから実験用として、赤外線で瞳孔の形を測定してTVカメ ラで撮影するという装置があることが分かり、この装置が役立つのではないかという話に なりました。しかし、何よりこうした医学用の測定器は出荷数量が少なく高価です。 その装置も、当時 1台が 6,000万円くらいするもので、納期も半年以上必要でした。しか し とにかく人間の瞳孔の反応を調べる方法は他に考えられませんから、当時のテーマ担 当の上司から買うように指示されました。
しかし、私はこの装置を買ったからといって、それほど設計に必要なデータが得られる という自信が無かったのでしばらく悩みました。痺れを切らした上司から、テーマが遅れ ると叱られましたが、発注はしませんでした。
そして、あるときふと思いついたのです。通常の 可視光用のTVモニターは CCD撮像素子 の前に赤外カットフィルターを置いているけれど、このフィルターを取り去れば赤外線カ メラになるはずで、人間が暗いと感じる部屋でもモニター出来るだろうということです。 そして、逆に医学用の装置では、光の刺激と瞳孔の関係は測定できるとしても、その時々の 写真が撮れなければ、瞳孔径と最終的な効果との相関が取れません。つまり赤外光で瞳孔の様子を モニターしながら、同時に可視光で写真が撮れる装置が必要なのです。これは赤外光と可 視光を分光できるフィルターがあれば可能になります。そしてその目的にぴったりの部品 があることが記憶の片隅にありました。当時はまだ、現在のようにインターネットが発達 していませんでしたので、ダイクロイックミラーというその部品の情報を光学部品や製造 装置の専門家に聞いて、最後に製造メーカーに問合せをして入手しました。TVモニターは 3万円くらい、赤外光の光源は赤外発光ダイオード、その他の部品も全て含めて 20万円く らいで図のような実験装置が出来ました。しかも 6,000万円の装置では出来ない被験者の 写真同時撮影が可能になったのです。この装置を使ってストロボの「赤目防止モード」が 誕生しました。(その後、完全に赤目現象が「防止」出来るわけではないので、「赤目軽 減モード」と改名しましたが)

赤目測定装置

最終的には、瞳孔のモニター画像をパソコンの画像処理ボードに入力して、瞳孔の直径 を自動で測定してグラフ化するシステムが出来上がりました。この装置の実現のお陰で、 定常光よりもパルス光の方が瞳孔が反応しやすいとか、年齢によって瞳孔の反応時間が大 幅に違って、パルス光を照射しても年寄りでは瞳孔が閉じ始めるまでの時間が倍以上かか るものの、網膜の色が変化してくるためか瞳孔の直径の割りに赤目現象はおきづらいとい うことなど、非常に有用なデータが集められました。この装置の実現にも、色々な才能の 持ち主の職場の多くの仲間達の協力がありました。
横道にそれますが、この実験で一番苦労したのは被験者集めです。目的が欧米人の赤目 或いは金目現象対策ですから、日本人ではあまりサンプルにはなりません。日本にいて肌 や髪の毛、目の色などで被験者を集めるのは想像以上に大変でした。そして探しても、そ の人たちに暗室に入ってもらって、写真を撮らせてもらうのは説明が大変です。肌の色や 年齢を確かめられて、薄暗い部屋に連れ込まれて写真を撮られるというのは、自分で想像 しても何か胡散臭いものを感じます。今でも当時の仲間に合うと、よくこのテーマが話題 になって盛り上がります。
そして、あの時上司の言うことを聞いて件の医学用瞳孔測定器を購入していたら、きっと同じ結論に達するのに 何倍も時間がかかったか、あるいは全く同じ結論には到達できなかったかも知れないと思っています。

出来てしまえば、何んということはない コロンブスの卵のような話ですが、でもこのシステムが あると無いとでは結果は大違いで、そこに考えが行くか行かないか、それがエンジニアとしての 勝負ではないでしょうか。


NAME.gif Ftop button.gif 道具について その2総アクセス数