● お父さんの "ちょっと自慢話"
お父さんの自慢話に ちょっとだけ付き合ってください。

 現代と言うのはある意味残酷な時代です。一昔前、私たちが育った時代には多くの子供たちは、田畑や自営業の家の中、家の近くの工場や商店などで父親が額に汗して働く後姿を見ながら育ちました。それが現代は、産業の大規模化、交通の進化でお父さんたちの多くが家から遠く離れた会社で働くようになり、子供たちが目にするお父さんは、働く姿よりも きつい仕事に精魂尽き果てて家に帰り、ゴロッと横になってTVを見ている姿くらいになってしまいました。しかもお給料は銀行振り込みで、お母さんは生活費を銀行にもらいに行きます。・・・・と子供たちが小さかったある時、そんな危機感を抱いて作ったページです。
 いつか子供たちが大きくなって、自分で仕事をするようになった時にこのページを読んで少しは父の足跡を知って欲しい、そんな気持ちでアップしました。ですから、極めて私的な話ですが、それほど歪曲や誇張はしておりません。


<えっ、まだこんな作業をやっている!!!>
 今はカメラでもテレビなどの家電品でも当たり前になった技術を、おそらく世界で初めて実用化したというのが、お父さんの自慢の一つです。  それは、1984年に EEPROMという ICを使って、カメラの製造工程から、手動の調整を無くしてしまったのです。  この手動の調整を無くすというのは、お父さんが会社に入った時からの、夢でした。 お父さんが会社に入った頃は、まだのんびりした時代で、大学を卒業した新入社員が工場で 3ヶ月くらい現場研修を受ける事が普通でした。 工場では、大学出の新入社員がくると「待ってました」とばかりに、古手の先輩からいくつかの決まった仕事をもらいました。
 その中でも、カメラの調整作業はとても面白い仕事でした。カメラのシャッタースピードを 1/8秒とか 1/1000秒とかの決まった時間に調整する作業で、部品を組み立てただけでは必要な精度が出ないので、カムという薄い金属部品を ヤスリで削ったりトンカチで叩いたりして必要な精度に調整するのですが、手だれた先輩なら 1分しないで事も無げにやってしまうのに、配属された新入社員はむやみに叩いたり削ったりで、10分やっても20分やっても完全には調整できない作業でした。
 でもその作業をやってみて、こんな勘と経験に頼った作業が、当時の大きな企業の工場で普通に行われていることがお父さんには驚きでした。そして、現場研修が終わって職場配属されて半年くらいした時に与えられた仕事が、まさしくこの調整作業の自動化というテーマでした。(ただし、電気技術者のお父さんに与えられたのは、ヤスリやトンカチを使ったメカニカルな調整の自動化ではなく、カメラの露出メータの調整の自動化というテーマでした。)
 そのときのテーマをくれた上司は、O大学理学部数学科出身の難解な方程式を解くことが趣味のようなとても頭のいい上司でした。「俺はこの回路をこうやってマトリクス演算の方程式を利用して解こうとしたがだめだった。 おまえやってみろ。」と言われたのですがとてもその上司が出来なかったことを、お父さんが出来るとは思いませんでした。

<S さんには負けたくない>
でも、方程式を解くのは苦手でも、アイデアだけは負けたくありません。
ちょうどその頃から、大型コンピュータやマイクロコンピュータといった演算を自動で出来るシステムが使えるようになっていたのです。 でも、コンピュータは数値演算が人間の何百倍・何千倍と早くても、方程式などを解くことは出来ません。
 当時、会社には レンズ設計計算用の T社製大型コンピュータ(TOSBAC)がありました。 (パンチカードという穴をあけたカードでプログラムやデータを入力するという、今となっては「コンピュータ」という名前からは想像を絶するような機械でした。でもこれでもさらに 5年前には設計課の女性社員が、掛け算の出来るタイガーの手回し式計算機という今では博物館でしかお目にかかれないような機械で 1週間以上かかってやっていた計算を、1-2時間でやってしまうというその当時としては画期的な計算機でしたが。)
 そして、その一方で単純な計算ができると言うことでは、同じコンピュータという名前が付いていましたが、Intelの 8080というマイコンチップを搭載した NECの TK-80という ボードコンピュータが入手可能になっていました。
 でもこのマイコンチップは、今のパソコンに使われる Pentiumなどと原理的には同じ働きですが、性能は大違いで演算能力はとても弱く、それほど大量の計算や複雑な計算が出来るものではありませんでした。
 そこで、お父さんが考えたのはマトリクスの全ての要素を細かく分割し、全ての要素の組み合わせについて予め大型コンピュータで計算しておき、工場のラインではそれぞれのカメラの要素が分割したどの範囲に入るかだけを測定して、ボードコンピュータでは 予め最適値を計算しておいた調整用抵抗を選択してあげれば調整が自動化できるだろうと思ったのです。
 そこで、レンズ計算用の大型コンピュータをお昼休みとか、レンズ計算が行われていない時間帯を狙って借りて 100万通りくらいの組み合わせの計算をさせました。ちょっと分割を細かくしすぎると、組み合わせが何桁も増えて計算が 昼休みには終わらなくなって、午後一番で計算機室に行くと待ち構えていた計算機室の室長から怒られましたが。

今から思うと、このマトリクスの全ての要素を細かく分割して計算しつくして、その中から最適値を求めるという方法は、その後「有限要素法」として色々なコンピュータを使用した設計手法の主流となった大変な理論と同じ考え方でした。(考え方だけですが)
 私が上記手法を試したのは、入社から1年目でしたから 1975年でした。少なくとも社内では、当時誰もこうしたことは考えてすらいなかったようで、それから2〜3年後に計算機室の同期入社の人から「最近計算機の分野で、君が昔やっていたようなマトリクス分割計算手法が話題になっているよ」と聞いてそのことを知りましたが。そしてその考え方は、後に有限要素法として高いビルや橋の構造計算から天気予報など あらゆる分野でコンピュータシュミレーションとして無くてはならない手法になってしまいました。

<アイデアは儚くも女性作業者に完敗!>
でも、この方法を工場で実験してみると、なんと女性の作業者の調整精度に適わなかったのです。いろいろ原因を探して、最後に行き着いた結論は、作業者の「経験」と「勘」でした。
 作業者は測定器では測定できないような微妙な違いを目で読取って知らず知らずにフィードバックし、信じられないような精度で調整していたのです。当時の測定技術では、特に露出計の針が振れる角度の検出が曖昧でそれを正確にフィードバックすることが不可能だったのです。
 これはエンジニアのお父さんにはすごいショックでした。 計算機室長に怒られたり、上司にせっつかれたりしながら 2-3ヶ月かけて一生懸命やった検討が、儚くも水泡に帰した苦い経験でした。
 でも、この経験から 「いつかは絶対 作業者に負けない調整システムを自分で実現してやる。」 そう心に決めたのです。

<雪辱のチャンス>
それから、10年くらい経った時に そのチャンスが訪れました。
 EEPROMという、電気を切っても記憶が消えない メモリIC が 300円くらいで実用化できそうだという話を、別のICの売り込みに来ていた S電子の人から聞いたのです。「これを使うしかない。」話を聞いていて、即座にそう閃きました。
 当時のカメラは、シャッターや絞りの制御がデジタル化していたので デジタルメモリで調整の値を記憶しておけば、調整は手動でなく完全自動化が可能になるはずです。そして、この調整の値は電池がなくなった時にも消えては困るので、電気を切っても消えないメモリがあれば可能になります。
 でも、いくつか問題もありました。EEPROMが 300円くらいで安いと言っても、カメラの部品として考えると 5本指に入るくらい高い部品になってしまい、今まで使っていた半固定抵抗をなくしたくらいではコストアップしてしまい使えません。
 そこで考えたのは、フィルムカメラには フィルムのコマ数計というものがあります。何枚写真をとったのか、あと何コマフィルムが残っているかを 文字盤や LCDに表示するものです。これは、調整値とは関係なく写真をとるたびに変わるデータですが、やはり電池がなくなって記憶が消えてしまっては困るデータなのです。だからその両方のデータを一つのメモリICで記憶すれば、両方の部品代が減らせてこのメモリ ICが使えるようになるだろうと目論みました。
 しかしこの2つのデータを同じメモリICに入れると、プログラムは時々思わぬ動作をすることがあり、その結果 心配としてコマ数データを更新したときに誤って調整データが書き換わってしまうことがあるかも知れません。これでは、カメラの露出などが狂ってしまい不良になってしまいますから、そんなシステムは使えません。

 そこで、一つの ICの中に 2つのデータ用のエリアを作り、そこに書き込む処理を完全に分離して、一方は工場でしか絶対に書き換えられないようにしたいと思ったのです。でも、当然メモリメーカーが計画している新しい メモリICに こんな特殊な仕様は入ってはいませんでした。
 必死で「特別な仕様で当社のために EEPROMを作ってください。」そうお願いしましたが「まず、汎用品を作らないと、通産省の補助金を受けられないので、それはこの次の機会にやらせて下さい。」と断られてしまいました。
 でも、その時を逃したらお父さんがカメラの開発を次に担当できるのは 早くても 2年くらい先になってしまいます。社内には、おそらくお父さん以外にこうした「馬鹿な」ことを「まじめに」考える人はいません。それでは他のカメラメーカに負けてしまう、そう考えるともう居ても立っても居られません。
 それから、日本中の メモリICを作っているメーカに全て電話して「EEPROM が作れますか」と尋ねました。 3社くらいが、もうすぐ実用化が可能だと答えてくれましたが、でもやっと実用化できそうになったメモリICをいきなり カスタムで作るなんて、当時の(今でも?)メモリICの業界常識には ありません。
 当然のことですが、全部のメーカから提案は断られてしまったのです。

<冷や汗タラタラ>
 でも、「今を逃したら自分の手でこの技術を実現することは不可能だ」そう考えて、何度もしつこく電話や打ち合わせでお願いをしました。「電気製品は今後 デジタル制御が主流になるが、その中で 調整を自動化することはとても大切なことです。その時この技術は大切な技術になります。TVだって電気を切っても、チャンネルは覚えておいて欲しいけど、工場の調整データが書き換わったら困るでしょ。今、ウチと一緒にこの技術を実用化できれば、絶対に その分野でも先行できますよ。」そう言って必死に説得しました。
 比較的親しかったメーカーの営業マンの手助けもあり、とうとう 根負けしたのか F通の技術部長の方が、「それでは汎用品を一時棚上げして、あなたの仰るとおりの ICを作ってみましょう」と言ってくれたのです。
 その時は大喜びしましたが、後になって冷静に考えてみると、これは全身から冷汗が噴き出すような話です。汎用品のメモリICを棚上げして、1機種のカメラのためにカスタム品を優先して作るなんて、業界では常識外れもいいところです。でもその時はそんなこと考えもしませんでした。
 ただ「自分の夢を実現したい。絶対にできる。」とそれだけを考えていました。

<いつもまず社内の反対を乗越えなければ>
こうしてやっと社外の協力が得られたのに、また壁が現れました。
 それは社内の反対意見でした。当時、社内には半導体のメーカから転職して来た、半導体製造の専門家の人も何人かいました。その人たちが、この話を聞きつけて 猛反対したのです。
 「EEPROMという ICは、半導体の絶縁膜を通して電荷を注入蓄積するもので半導体としては一歩間違えば絶縁膜が破壊してしまうと言う 非常に危険な使い方です。それを使用温度や電源がコントロールされたコンピュータではなくて、温度や使い方の厳しいカメラでいきなり使用するのは無謀です。出来たばかりのメモリIC の市場テストを カメラでするようなものです。他の製品で使って、問題が無くなってから使うべきです。」そう言って猛反対されました(本当はもっと厳しい表現でしたが)。
 でも、メモリの信頼性はコンピュータの信頼性という考え方の上に載っている 10の○乗というくらい非常に高い信頼性です。それに対して、それまでカメラで調整に使用していた半固定抵抗という素子は振動などで結構ずれてしまったり、接触不良を起こしたりと、結構不良の多い素子でしたから、メモリの信頼性が若干低くなってもまだ半固定抵抗器の信頼性よりはマシだろうというようなことまで考えて、頭の中では勝算はありました。
 何よりこの技術を自分の手で実現できるチャンスが目の前にあるのですから諦める訳には行きません。何回か話をするうちに、こうした人たちも根負けして「N さんがそこまで言うなら、全面的に協力しましょう。IC メーカとの打合せには必ず出席して、信頼性評価の方法が充分か チェックしましょう。」そう言ってくれました。
 この人たちが、専門的な設計や信頼性試験方法を非常に厳しくチェックをしてくれたお陰で、こんな無謀な技術を実用化したにも拘らず、結果的には市場でも全く問題を起こさず、狙い通り却って調整不良は低減しました。
 ですから、この時協力してくれた社内外の人にはとても感謝しています。

<カスタムがいつの間にか業界標準になってしまった>
 それから更に数年した時のことです。海外を含めて メモリICのメーカの人が、似たような ICの話をいくつも紹介しに来るようになりました。でも、決まってこれらの仕様は 最初にお父さんが出した仕様と瓜二つの仕様でした。シリアルでデータが書き込めるため端子数が少なく小型で、メモリエリアが 2つに分かれていて、書き換え回数が 1万回で・・・ という具合です。
 売込みの打ち合わせに出席した友人の Aさんはそんな時「この基本仕様を作ったのが誰か知っていますか?」と言って、何も知らない代理店の人を困らせていました。
 実は、書き換え回数 1万回を要求したのは、カメラのメカニカルなシャッターの耐久性が 5,000回−1万回くらいですから、取敢えず 1万回持てばいいかなと、最初に要求した書き換え回数でした。結局、最初はカスタムの メモリICとして汎用品を棚上げしてもらって開発したIC が、その後、業界標準の汎用の仕様になってしまったのです。
 そんな経緯で、EEPROM が実用化されると同時に調整の自動化をしたわけですから、EEPROM という メモリICを使用して電気製品の調整作業を完全自動化したというのは、カメラは勿論全ての製品でお父さんが 「世界で初めて」だ、と言い切れる自信があります。
 当時から現在まで、S-RAMや D-RAMなどメモリICの標準品はアメリカが作って、それを日本が真似するというのが普通でしたが、市場は小さいものの 日本で作ったメモリICが世界標準になったというのもおそらく初めてのことだったと思います。
 今は、この方法が無ければほとんどのデジタル製品は出来ないといっても大げさではない技術になりました。

<目標が無くなった>
 この時担当した製品には、それ以外にもそれまでに無かった技術をいくつか実現しました。
(●それはこちら●)

 でもそれらの技術を完成させた反動は結構大きいものでした。夢中になっていて ふと気が付くと、10数年間夢にしてきたことが叶って、じゃあ次に何をやろうか考えても もうカメラの開発でやりたいことが残っていないことに気づきました。
 もう自分のアイデアでは自分で作ったシステムを乗り越えられない、カメラがフィルムという媒体に画像を記録する以上革新は出来ない、と感じたのです。どう考えても、後 残されているのは、2つのICを 1つにするとかカメラの電気回路を○円 安く作るとか、そんなことしか考えられません。他の人は考えないこと、とても実現できないと尻込みすることをアレコレ考えて実現させるのは得意ですが、○円安くするとか、○mm小さくするとか・・・・そう言った仕事を確実にこなすには他の人のほうがずっと適任だと思っていました。
実は、それはお父さんにはとても苦手な仕事なのです。
「もう自分がこの世界でやる仕事はない」 そう感じた時、フィルムカメラの開発から別の仕事に移ることを心に決めました。



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