e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、政治や思想・社会問題に対する勝手な私見を書いてみました。専門家ではありませんが、岡目八目という言葉もある通り、時には本筋を突いていることもあるかも?
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楽 天 の 商 品

-893- 辞め時
一昨日飲んだ際、話題にしたことがある。忘れないうちにメモ。
マネージャーなり経営者なりに必要な資質で、ある意味一番大切なものとして私が認識しているのは「辞め時」を知ること。
私自身がそれを初めて認識したのは 40歳の頃だったと思う。私は電子化が進行し始めたのと同時期に電気技術者として開発者のスタートを切ったので、幸か不幸か仕事を教わるような上司と一緒に仕事した経験はない。単にテーマを与えられて(と言うよりは「コレ電気で出来ない?」とだけ言われて)、他社の特許を調べて抵触しないように、出来れば特許が出せるような回路やシステムを考えて、実現するというような行き当たりばったりの仕事の仕方だったが、電子化の進行で若手がどんどん増えて職場が大きくなっていったので、途中までは「出世する」というような意思は勿論、意識をもったことも無かった。それが、私自身が 40歳近く1980年代の後半になって電子化も一段落し、同時にカメラ市場も飽和して事業環境も厳しくなるともう組織の拡大は望めなくなった。と奇しくも同時に、当時の会社のシステムとして「課長格昇格試験」というモノが新しく実施されるようになり、否が応でもこの先どのように生きるのか?というような命題を考えざるを得なくなった。
その時になって初めて私は「このまま(フィルムカメラの技術はもう進歩しないのに)課長・部長と進んで(クソ面白くもない仕事に追い回されて)いくのか、いけるのか?」と自問した。当然答えは「ノー」という以上に「あり得な~い!」。これが古巣のカメラ事業部トップに対して「放り出してくれ」と言い出し始めたキッカケだった。
その時から何度か、仕事の拡大が望めなくなって、部下の次のポストが私自身のポストしかないと分かると、「じゃぁ自分がここを飛び出せば自分は新しい仕事ができるし、部下は上のポストで仕事が出来るチャンスだ」と一人でスピンアウトすることを考えるようになり、いつ自分は飛び出せばいいのか? 仕事の「辞め時」を常に意識するようになった。
そんな私の稚拙な経験から、「辞め時」を知ることは大切だと思っていたが、最近ニュースになる経営者の話を見ると、逆に「辞め時」を知らなかったばかりに輝かしい経歴に傷をつけたり最悪「犯罪者」になるケースすらあるということが分かった。
そのことを最も強く感じたのは私個人としてあまりに生々しすぎるのでここでは取り上げられないが、一般論として一時期は脚光を浴びた企業を創業しスポットライトを浴びたのに、その企業が業績不振に陥り、従業員とその家族を路頭に迷わせるという事例は日常茶飯事で、余程大きくない限りニュースにすらならない。きっとそうした「元輝かしい」創業者も最後は従業員や家族からも恨まれているに違いない。それらの創業者は多分、企業を起こす(=攻撃?)ことと維持発展(=攻撃的守備?)、業績不振からの脱出(=守備?)では全く別の人間的能力が必要だと言うことが分かっていないんではないか?と感じている。詳細はまた別ページにでもしたいが、例えばついこの間の話題で「安愚楽牧場」というのがあった。かなり昔、新聞かなにかで読んだ記憶があるが、その時はあのビジネスモデルのアイデアはすごい、と思った。出資者は会社という実態のないものに投資するのではなく、生きている個別の「牛」に投資する。その牛が子供を生んだり、何百万円という高い肉牛になって売れれば投資に利益が乗っかって回収できるという発想で事業を起こすことは、多分誰も他には思いつかなかっただろう。他の投資話とは異なり、会社などへの投資ではないから、万が一の時にも投資が「紙っペラ」になることはない、実在の「牛」ならどう転んでもン十万円?とかで処分できるだろうという安心感がある。そこがミソだった。
しかし、現実はBSE問題などがきっかけで歯車が狂い、沢山の人の投資を飲み込み ついには逮捕されてしまった。まぁこうなると BSE問題以前が健全だったのかどうかも疑わしいが、兎に角 BSE問題が起きて事業が怪しくなると分かった時に、あの女社長は人に譲るか会社を精算しておけば(=辞め時)ここまで被害は広がらなかっただろうし、自分も某かの資産を残して、逮捕も無かったかもしれない。
逆に、見事な辞め時というのもある。有名な本田宗一郎や、稲盛元京セラ会長はその代表のような気がする。京セラもKDDIも、JALも、自分のやるべきことをやった後はスッパリ退いてしまう。彼らのように「目の黒いうちに」辞められると、跡継ぎは当然その座にしがみつけないし、襟も正さざるをえない。そしてその企業に最も大切な「哲学」だけが長いこと生き続ける。実は走り始めてしまった「公の会社」にとって必要なのは/残すべきモノは、社長という「私」個人や能力ではなくて、その志 = DNA ではないだろうか?
ちょっと長くなりすぎたので(実は2日にわたって書いている)、続きは又。
今日の写真は、上の文章がボケという自戒ではないが、「ボケの実」。去年 秋も随分深まった頃に見た記憶があるが、もう実をつけているんだ。
2013/06/23