e日記風 独り言

気まぐれ & 気まま & 天邪鬼な老いぼれ技術屋の日々の記録のうち、個人的な思い出や生活、食に関する話題のページです。
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楽 天 の 商 品

-1485- 思い出の続き: 面接
= 今日は画像なし m(_ _)m =
この一つ下の #1483 で書いた、キャベツの千切りに続いて・・・・この歳になると思い出は一つ語りだすと次から次へと止め処もなくなる可能性があるが。
私が”とりあえず”就職したのは当時の電電公社だったが、その採用面接の時だった。記憶では面接官は同じ高校の卒業生だったと思うが、唯一記憶しているのは「尊敬している人は?」という質問だった。一瞬、月並みな日本や世界の偉人を答えるべきかと思ったが、口を突いて出たのは「兄です」という言葉だった。当然「どうして?」という質問が続き、待ってましたと「上京して、数年間苦労してから夜学に通い始めて税理士の資格を取ろうと頑張っている。私も暫く居候させてもらって夜学に通いたい。」と言うようなことを答えたと思う。(実はこの答えのせいかどうかは知らないが、暫くあとで電電の就職には若干の問題が生じて学校や先生には多少迷惑をかけたがそれは話がそれるのでまたの機会に)
時は過ぎて、5年後・・・・ 大学紛争や肺の手術等の出来事もあったが何とか夜学の4年間を過ぎて最終年次に入ると言う3月、卒論と就職活動が始まるのに備えて電電公社を退社したが、6月に入ると学校でも新卒募集の掲示が出始め就職の説明会や担当教授との懇談が開かれるようになった。
就職担当教授が「どこに行きたい」と聞くので、NHK技研か通研(電電公社の通信研究所で横須賀と武蔵野にあった)と答えると、「毎年そうした希望があるがうちの学科から入った人はまだいないよ。」という(半ば予想していた)にべもない答え。「じゃぁ、どこでもいいですから精密メーカーか医療機メーカーを紹介してください」と言うと「電気工学出身なんだから、殆ど電気メーカーを希望するのにどうして?」と聞かれた。「そうした電気メーカーに行っても、もうやることは決まっていそうな気がするし、歯車の一つのような仕事はしたくありませんから」と答えると、納得してくれたのかどうかは分からないが「それなら丁度いい会社がある。精密も医療機もやっている会社だ」と言って○リンパスを紹介された。もう一つ医療機と言うことで体温計などを製造していたジン○ンテルモも紹介してくれたような気がする。 その頃は暢気なもので、見学もなにもなくいきなり推薦状をもらって郵送すると入社試験日を指定されて、その日に試験会場に出かけて試験を受けるという段取りだった。
当時のテルモ(というよりジン○ン)は体温計くらいしか知らなかったし、とりあえず精密機器の方が「設計」という意味では現実味があると思い○リンパスに願書を出して、指定された当日、幡ヶ谷にある本社に出向くとその場でペーパーテストと続けて面接があった。(受験に行って初めて隣の建物がもう一つのジン○ンテルモだと知ってビックリした)ただし当日受験した人は20人以上いたと思うが、面接は順番で時間がかかるからペーパーテストの合間に行われ、私の場合は専門科目の後に面接、その後で英語だったと思う。で面接ではまたしても「電気専攻のあなたが何故当社に?」という質問が飛んだ。電気の採用枠を設けておきながらそれはないだろう・・・という逆質問は堪えて「電気メーカーに行ったらあまたの先輩がもう仕事のレールを敷いてしまっているので、一生懸命その線路の上を走るような仕事しかやらせてもらえないと思う。私は荒野の真ん中に線路を敷くような仕事がしたいが、精密や医療機ならこれから電気技術が主流になると思うのでそうした仕事ができると思う」というような事を答えたが、この質問があった時点で「受かった」と言う事を確信した。時はちょうどICがアナログからデジタルに置き換わり始め、インテルがワンチップCPUを発表した頃だった。漠然とではあるが、何百何千という個別素子がICに、やがてそれもCPUに置き換わって精密機器や医療機の小さな筺体の中に電気回路が詰め込まれていけばそれまでの純機械式の機器では想像できないくらい進化を遂げるだろうと言う想像や期待を伝えたいと言う思いから出た答えだった。面接の後の英語のペーパーテストが散々だったことも覚えているが、この確信に間違いはなく間もなく合格の通知をもらった。
つくづく、ありきたりな答えのできないへそ曲がりな性格が面接には向いているんだと、かなり後になって気づいた。
余談だが、いまだにこの質問をしてくれた人の事は覚えており、その後ほんの一瞬だけ上司になった事があり、出来ればその人の下で続けて仕事をしたいとも思ったが、その後の会社の上層部のゴタゴタで間もなくその上司は子会社の方に移ってしまった。(この話にも尾ひれがあるが、それはまたの機会に)
2015/10/22