1月1日はどうやって決まったか?


正月を迎えるにあたり考えたこと
初回アップ:2008/1/10

  1. 社会からドロップアウトして
  2.  しばらく前から、現在の暦(グレゴリウス暦)の 1月1日はどういう意味があって、どうやって決まったのかが気になっていた。と言うのも、それまで日の出を見るような生活をしたことが無かったのに、ここ何年か時々日の出頃に出勤する娘を車で駅まで送っていくときに、冬至よりも年の暮れに向かって日の出が遅くなっているようなので、もしかして 1月1日は日の出の一番遅くなる日なんだろうかとも思って、今日の暦で調べると、秒の単位までは出ていないが、今年は1月2日から14日までが 6時51分となっていて一番遅い。単純にこの真ん中の 1月 8日頃が一番日の出は遅くなると思われるので、逆に 1月1日は特に天文学的に特別の日でもないことが分かった。これは考えてみれば当然で、現代のように正確な時計があれば日の出の正確な時間が計れるが、グレゴリウス暦発祥の時代の水時計や砂時計の精度や測定時間ではとても1分未満の日の出の時間差を計ることは不可能だと思われる。
    あるいはどの宗教のイベントともつながりがなさそう。じゃあ、1月2日や3日であっても良かったのに、もっと言えば いっそのこと 1週間ほど遡ってグレゴリウス暦の生まれた当時のヨーロッパの最大の宗教であるキリスト教の神聖な日「クリスマス」であったほうがずーっと合理的な気がするのに、微妙にずれている。もしくはクリスマスからもう2日ほど遡って 1年で一番太陽の南中高度の低くなる冬至とかの方が良かったのにと思ってしまう。
     そこで Webで検索すると沢山の説が出てきた。中でも、このあたりが一番分かりやすくて、包括的な説明に思える。このページによれば、最初に決まったのは 1月 1日ではなく、春分の日の 3月21日らしい。そこから 3月 1日、−28日、−31日と遡って 1月 1日が決まったという経過らしいから 元旦は何も意味を持たない日ということになる。その他、様々な見解が出てくるが Webだけでもこんなにいろいろ出てくるんだから、今更歴史家でもなく、天文学に詳しいわけではない私が何をかいわんやであるが、年の初めに抱いた疑問なので私なりの解釈をしておこうと思う。

  3. 1月 1日の意味
  4.  どうも、古代ヨーロッパからアジアにかけての地域では、もともと冬至を太陽が生まれ変わる1年の初めと考えて祝っていたようだ(エジプトのファラオ ラムセス2世の小説によると、古代エジプトでは太陽は日没とともに一旦死に、翌朝新しい太陽になって生き返るとある)。
     実は イエス・キリストの誕生日と言われるクリスマスも、実際には生誕のはっきりしないキリストについて、キリスト教がそうした在来の風習と交じり合っていつの間にかキリストの誕生日という設定になったというのが現代の解釈らしい。むしろ宗教としてのキリスト教においては、イエスが磔刑になってから後 2日後に復活したとされる復活祭(イースター:春分の日の後の満月の後の日曜日)の日付を決める事が重要だったということが上記のページに書かれている。ここからうかがえるのは、キリスト教が生まれた当時の彼の地の暦は太陰太陽暦であるユダヤ暦だったと思われ、そこでは何かが起きた日付を「○月○日」とは記録せず、「冬至/春分の日を過ぎた満月の後さらに何日後」と言ったように太陽の節季を基準にそこからの月の満ち欠けによって測っていたということだろう。
     正確な天体観測装置のなかった古代でも、ある地点から太陽が昇る位置を山の形などで記憶すれば、一番南に下ったところとか、そこから何日かかって元の位置に戻ってくるかとか、その 4分の1(春分点)はどことかは比較的決めやすい。現にイギリスのストーンヘンジなどの巨石遺跡は、春分や冬至などの太陽運行を観測する装置だった可能性が高いとされている。
     そして、元々算定基準の春分の日と定めた 3月21日が、当時の閏年(ユリウス暦:きっかり4年に1度で100年毎の修正はなし)の誤差(356.25日と 365.2422日の誤差だから百年に約1日ずつズレるから 1000年で約10日ズレた)によって、実際の春分点から次第にずれてしまってきたことが誰の目にも明白になって、それを修正する目的で定められたグレゴリウス暦によって翌年の 3月21日をぴったり春分点と一致させるため無理やり「1582年10月4日の翌日が10月15日」としたことによって、自動的にその77日後が 1583年の 1月1日と決まり、そこからは地球の公転とほとんど誤差がなくなって、現在に至るまでの 1月1日の位置が決まったことになる。
     まぁ、考えてみれば日本では <1月1日>というから何となく 「年の初め」という雰囲気になるが、英語圏では通常 月名を 数字では表さずに神話の神様(あるいはギリシャ語?の数字に由来する)やローマ皇帝に由来する名前で呼び、1月は January と言うから、1月が年の初めという意味合いは薄いのだろうし、古代中東地域では元々太陽運行の春分の日を含んでいて暖かさが感じられる新月から次の新月までの月を 1年の初めとしていたようで、その前の一番寒い 2月が1年の終わりとされ、そのために 2月の日数は帳尻あわせで 28/29日になったという経過もあるそうで、日本以外ではそれほど 1月1日を有難がってはいないらしい。
     駄文ついでに記しておけば、元々ユリウス暦以前には 2月は29日か30日で、奇数月が 31日、偶数月が 30日と規則的だったらしい。しかしローマ帝国の初代独裁者ユリウス・シーザーの名前がついた7月の後ろに来る 8月に次の皇帝のアウグストゥス帝が自分の名前をつける際 8月(August)が小の月(30日)であることを快く思わず、無理やり偶数月の 8月を大の月(31日)にして、その帳尻合わせとして 2月にしわ寄せしたために 2月は 28/29日になってしまったらしい。
     単なる暦の話ながら、ここまで聞くとキリスト教と表裏一体の西欧の文化を頑なに拒否している中東の国々の価値観というものも、ある意味共感を覚える。


  5. 0時 0分について
  6.  ここまできて、ふと思った。日本では年越しの番組で 鐘の音を合図に 「明けましておめでとう」という挨拶をするが、日本標準時や グリニッジ標準時の 1月1日 午前0時という時刻自体も、実は過去のどこかの時点(おそらくグリニッジ天文台で南中を観測した時を 12時としてその 12時間後か?)をグリニッジの夜中の 0時と定め、そこから営々と 1日24時間をサイクリックに積み重ねてきただけであって、確かに平均すれば 昼の 12時は略 太陽が南中しているし、夜中の 0時はその正反対の位置にあるのだろうが、結局は 地球の自転そのものが毎日正確に 24時間きっかりというわけではなく、公転軌道が楕円であることなどから均時差と呼ばれる誤差 ±14〜15分くらいを含んでいるので、ここでもあのボ〜ンという<瞬間>にはあまり意味が無いことになる・・ と天邪鬼としては理屈がどんどん積み重なってしまった。そう考えつつ、思考の最後はこんな理屈をこねくり回して皮肉ることなく、ズバッと「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」と詠んだ一休禅師の慧眼に感服してしまった。

  7. 駄文のついでに暦や月について考えてみた
  8.  元々、暦の起源は種まき時期などを決める農作業など食糧生産のために生まれてきたと思われるが、その元になる季節は太陽の運行によっており それは365日ちょっとを 1周期として廻っており、その変節である冬至や夏至、春分秋分といった日を起点とすべきで、世界各地の古代遺跡はこうした変節を観測するためのものも多い。しかし一遍に365日を基にして 例えば冬至などから日付を数えるのでは、いわば mmの目盛りしかない 1mの物差しで長さを測るようなもので、88日目になったから稲の種を蒔こうとか、220日目になったから刈り入れしようとかなってしまって、数字が大きすぎてかえって分かりづらくなってしまう。そもそも 十進法や12進法すらあったかどうか疑わしい古代では 100を超える数を数えられる人がそれほど多くはなかったとも考えられる。そこで もっと小さく区切って数えやすい(10mm毎に1cmの目盛のような?)、観測設備が無くとも誰の目にもおよその日付が読み取りやすい物差しとして周期が一定している自然現象である 月の満ち欠けが取り入れられたと思われる。ところが太陽と月とではそれぞれの運行が整数倍関係に無いので 月の運行を使って1年を区切るとどうしても始まりや終わりが少しづつずれてしまう(1mの間隔を鯨尺で測ったようなもの?)。このあたりが太陽暦の限界で、月と言いつつ 一月を 29日と30日ではなく30日や31日で数えることにした時点で、12進法に拘って月の満ち欠けを見て農作業を行うことはもはや放棄したと言ってもいい。ヘソ曲がりな私からすると、さすが狩猟民族、いや金融民族の考えた暦だと感心してしまう。
     さて、私の小さい頃はまだ日本でも旧正月と言う行事が普通に行われていた。また現在でも結構<節分>という風習は残っているが、当時の旧正月は節分前後の朔日(新月)の日だったようで、毎年現在の太陽暦上での日付は変わる。旧正月には、小さく刻んだ餅を竹の小枝に吊るして(多分、稲穂を模していて稲作の豊作を祈ったと思う)部屋に飾ったような記憶があるが、今こうして考えるとあの風習こそ農耕文化に根ざした暦の原点のような気がする。

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